高校時代補欠選手がプロ野球選手になるまで プレッシャーに勝つ方法 大学生活【後編】

2020年1月8日

肩の怪我を乗り越え

大学3年時に肩の怪我をしてしまった私は、

約半年間のリハビリを経て、4年生の春には投球ができるまで回復していました。

大学2年時に試合に投げさせてもらい、雑誌の取材を受けたり、地元のニュースでインタビューされたりと、

ほんの少しだけ注目をしてもらっていたのですが、この怪我をしたことによって、

また振り出しに戻ったような気持ちでいました。

この年、私は、監督から「投手キャプテン」に任命されました。

4年生になった時、チームを引っ張ていかないといけないという自覚はありましたが、

そのキャプテン任命によって、さらに責任感が増したように思い、胸が高ぶった覚えがあります。

この当時の私は、プロ野球選手になりたいという大きな目標もありましたが、それだけに集中できるような状態ではありませんでした。

2年生の時に試合にも起用していただいて、多少、注目もしてもらい、その選手が4年生になったとなれば、活躍するのは当たり前という風に見られるんじゃないか、

当然、プロ注目選手として、仲間や、相手からも、そんな目で見られるんじゃないかと、自意識過剰になっていました。

チームを引っ張っていかないといけない。

チームを勝たせないといけない。

もっともっと活躍したい。

プロ野球選手になりたい。

いろいろな思いが私の中で渦を巻いていて、その渦に巻き込まれそうな感覚でした。

今思うと、4年生の時は、『プレッシャー』との戦いの1年だったと思います。

 

 

気持ちと体が噛み合わない日々

3年生の時肩の怪我をしてしまった私ですが、その時に、自分の体のことやトレーニングを学び、

それに徹底してきたおかげもあって、身体の状態も万全に仕上がり、自信に満ち溢れていました。

そして、私が試合に投げ始めたころ、私が思っているよりも多くのプロ野球のスカウトが見に来てくれていました。

3年生の時に怪我をしてしまった肩が、もう完治しているかということと、さらに良くなっていることを、投球でアピールするしかありませんでした。

私にとっては、毎試合が『就職活動』でした。

もちろん毎試合気合を入れて、試合に臨んでいました。

そんなとき、また一つ私に問題が生じました。

それは「指のマメ」でした。

体自体はすごくいい状態だったのですが、前の年に全然と言っていいほど投球ができていない私の指は、

つるつるになってしまっていました。

体の状態が上がっている分、指にかかる負担は大きく、

一度は、人差し指の腹からすべての皮がペンのキャップのように取れてしまい、風が当たるだけでも激痛が走るようなこともありました。

思わぬ落とし穴でした。

体が元気なことをアピールしたくて、初回から飛ばして投げて、指にマメを作り2回や、3回で降板する。

そして、指が治っていないにも関わらず投げさせてもらい、またすぐに、皮がむけてしまい、降板する。

という繰り返しが続くようになりました。

後から聞いたのですが、その時見に来ていたスカウトの方たちは、早々に降板する私の姿を見て

「まだ肩が治っていないんじゃないか?」と思われ、

少しずつ見に来てくれるスカウトの数も減っていきました。

大事な4年生の春、私は思うような結果を残すことはできませんでした。

 

 

大きなプレッシャーと闘っている中、壊れだす心

なかなか思うような結果が残せずに終わってしまった春の大会が終わり、

私には最後の秋の大会しか、アピールするチャンスは残っていませんでした。

私の大学生活での集大成を見せる時でした。

絶対にプロ野球選手になるんだと、意気込んでいた私にとって、この大学野球は通過点であり、大学生相手に手こずっているようでは、プロなんかに行けないと思って毎日自分を追い込んでいました。

ましてや1年生の時、日本一になったエースの先輩でさえいけなかった、プロの世界。

だから、試合では当たり前のように抑えないといけない。

絶対に負けるわけにはいかない。

ミスをしたら、プロにはなれない。

と、自分にプレッシャーをかけながら、毎日必死に過ごしていました。

状況的にも、春にアピールできていないし、崖っぷちの状況ではありました。

この時のことを思い出すと、今でも胸が苦しくなります。

自転車で通学していた私は、4年生になったころかくらいから、万が一事故を起こすことや、怪我をすることを恐れ、時間に余裕があるときや、天気がいい日以外は、バスや電車を使い、学校に行くことにしていました。

そんなある日のこと、私はいつものように大きな野球かばんを持ち、バスに乗り、大学に向かっていました。

それは、バスに乗ってすぐのことでした。

突然胸が苦しくなり、呼吸も苦しくなり、冷や汗が出てきて、視界が狭くなっていきました。

急にその場がにいることが苦しくなり、いてもたってもいられなくなりました。

バスに乗ってすぐということもあり、降車ボタンを押すことをためらい、我慢しようと思ったのですが、

その気持ちが、さらに私を苦しめてしまい、結局途中のバス停で降りてしまいました。

その日から私は、バスに乗っても、電車に乗っても、そんな状態になり、途中下車を繰り返すようになりました。

今では考えられないのですが、その当時は、乗り物が怖くて仕方がありませんでした。

それほど精神的に追い込まれていたんだと思います。

 

 

プレッシャーに打ち勝つには

そんな日々の中でも、グランドでは、チームを引っ張ていかなくてはいけませんでした。

チームの仲間や、相手には弱い部分を見せたくないし、

弱い部分が出てしまうと、プロの世界なんかで戦うなんて厳しいと思われてしまい、評価も下がってしまうと思ってもいました。

なので、人に相談することはできず、自分で何とかするしかありませんでした。

プロ野球選手になりたいという夢を持ち、それに向かって、それだけを見て、毎日を過ごしてきた私は、

自分で生み出し、自ら大きくしたプレッシャーに押しつぶされてしまっていました。

しかし、これから逃げるということは、自分の夢からも目を背けてしまうことになります。

何とかこのプレッシャーに打ち勝っていく必要がありました。

今のままではいけないと思った私は、このプレッシャーと戦っていく中で、プレッシャーとの戦い方を変えてみることにしました。

その方法は、

 

遠くの夢を見据えてやみくもに頑張るんではなく、

とにかく、毎日毎日を必死に頑張るということでした。

これは、意味は違うかもしれませんが、

例えるなら、「一生懸命」ではなく「一所懸命」に頑張るという感じでした。

近くに目標を置き、それをクリアしていくようにしました。

どこまで頑張ればプロにいけるかなんて決まっていないのだから、毎日毎日自分が納得がいくまで頑張っていれば、結果はついてくると思うようにしました。

 

そして、乗り越えないといけない壁が出てきたときは、

「この壁を乗り越えたら、さらに大きくなれるぞ」

と、乗り越えた後の自分を想像するようにしました。

そうすることで、私はプレッシャーとうまく付き合っていくことができるようになりました。

 

 

最後の大会。そして最後のアピール

様々なことを乗り越え、迎えた最後の大会。

私はとにかく、目の前の試合、目の前の相手を死ぬ気で抑えようと思っていました。

その時には、それで結果が出なくても仕方がないと思えるほど、頑張ってきたという自負がありました。

そう思って臨んだのもよかったのか、私はその大会で、リーグベストナインと最優秀選手賞をいただく結果となりました。

残念ながら、九州大会で敗れてしまい、全国大会には行けませんでしたが、

私は自分が納得するまで頑張った結果なので、清々しい気持ちではありました。

『人事を尽くして天命を待つ』

まさにこの言葉のような心境でした。

 

 

運命のドラフト会議

2008年10月30日 ドラフト会議

前日、私は当たり前のようになかなか眠れませんでした。

当日も練習だったのですが、寝不足の状態でグランドにいったことを覚えています。

平静を装っていたのですが、どこかふわふわした感覚で練習を終え、

監督のいる本部に、挨拶をしに行きました。

私は勝手に、学校の制服を着て、大勢の取材陣の前でドラフト会議を見ることを想像していて、

そのようなことを言われると思って、心の準備していました。

ところが、監督は、

「憲。たぶんドラフトは厳しいと思うから、家に帰っていいぞ」

と言われました。

私は、期待していた言葉とは違い、がっかりしましたが、これまで必死に頑張ってきたし、

監督のその言葉も、意外とすんなり聞き入れることができました。

ドラフトの目玉候補とは違っていた私は、

「やっぱり厳しい世界だな」と思い、帰宅しました。

家に帰ると、家族がいて、私と同じような想像をしていたのか、

私が帰ってきたことに驚いていました。

私は、今後どうしようかという話をしながら、ドラフト会議をテレビで見ていました。

上位で名前を呼ばれた選手たちがインタビューを受けている姿を見て、羨ましく、そしてとても悔しい気持ちがありました。

その時、、、

 

阪神タイガース 第4巡選択希望選手

西村憲

 

と、大きく私の名前が出ていました。

テレビから私の名前が呼ばれたのです。

その瞬間の記憶は今でも忘れません。

これまでいろんなことがあり、何が正解かわからず、不安の中、もがきながら野球と向き合い、とにかく懸命に毎日を過ごし、これでもかというまで、自分を追い込み、時には自分で自分を励まし、頑張ってきた日々を、

その一瞬で、

「よかったね。すべて正解だったんだよ」

と、初めて認めてもらえたような気持ちでした。

本当に信じて頑張っていれば、夢は叶うんだなと思った瞬間でもありました。

 

 

最後に

これまで【前編】【中編】【後編】と読んでいただきありがとうございました。

【前編】高校時代補欠選手がプロ野球に行くまで 恩師との出会い 必死だった大学生活【前編】

【中編】高校時代補欠選手がプロ野球になるまで エースを学ぶ 大学生活【中編】

 

これは私が小さな頃からの夢を叶えたときの話です。

見方によると自慢話をしているように聞こえますが、

ここまで来るまでにいろんなことがあり、

楽しいことも、苦しいこともあって(苦しいことのほうが多かった気しかしませんが)

いろいろな経験をして、夢を叶えました。

 

夢は夢のままじゃなく、本当に信じて頑張れば、

夢は叶えることができるということ。

そして、その権利は、誰にでもあるということ。

 

そのことを伝えたくて、恥を忍んで、すべてを書かせてもらっています。

 

次回は、紆余曲折ありながらも、夢を叶えた私が思う、

夢を叶えるための『プロセス』を書いていきたいと思います。

よろしくお願いします。