高校時代補欠選手がプロ野球になるまで エースを学ぶ 大学生活【中編】
大学1年からベンチ入り
前編の最後にも書いたように、恩師である監督と将来の話をしてから、監督は私をプロの道に進めるようにいろいろとサポートしてくれました。
【前編】高校時代補欠がプロ野球に行くまで 恩師との出会い 必死だった大学生活【前編】
監督はどのような思いだったかは分かりませんが、
私は勝手にそう思っていました。
私が1年生の時の4年生は、雲の上の存在という感じでした。
プレーもそうですが、存在感というか、雰囲気があり、とても話せるような感じではありませんでした。
これまで見てきた中でも、選手全員の目の色が違うという印象でした。
そんな先輩のプレーを見ながら、私は私なりについていこうと頑張っていました。
そんな日々を過ごしていたある日、秋に行われる秋季リーグ戦が始まりました。
そしてなんと、1年生ながらベンチ入りをさせてもらうことになりました。
ましてや高校時代補欠で実績もない私が、まさかと思いながら、
その反面、そのために必死に頑張っていたのですが、まさかのベンチ入りに少し驚きました。
その大会で私の出番はありませんでしたが、先輩たち率いるチームは全国大会に出場することになりました。
そして、なんと全国大会でも優勝し、日本一に輝きました。
そんな先輩たちのプレーを近くで見ることができてとても感動しました。
この時はまだ、当事者というよりも、夢を見ているような感覚でしたが、
日本一という限られた人しかできない、非日常を目の当たりにし、
大きな目標も現実に起こりうるんだ、という認識に変わった瞬間でもありました。
エースを学ぶ
1年生からベンチに入れてもらい、日本一を経験した私は、近くで先輩たちのプレーや野球に対する姿勢を見て、たくさん学びました。
一つのプレーに対しても、堅実で、決して抜くことはなく、
一球一球に対しても、貪欲で、必死に向き合っていました。
『絶対に勝つ』という気持ちが、プレーを見ていて伝わってくるような感じでした。
その当時のチームのエースは、4年生の方で、アンダースローの投手でした。
アンダースローなので、決して球が速いというわけではありませんでしたが、コントロールが抜群によく、とてもクレバーな選手でした。
そして何より、気持ちが人一倍強い人でした。
ただでさえ目の色が違う選手たちの中でも、特に内に秘める闘争心は大きかったように思います。
普段は優しく、マイペースな印象ですが、『誰にも負けない』という気持ちと、高いプライドをもっているような印象でした。
私は、これぞ『エース』だと思いました。
私はこの方からたくさん学ぼうと思いました。
自分を信じる
全国大会に出場した時のことです。
ホテルの部屋割りが発表されました。
2人部屋で宿泊するのですが、私は、年齢の近い選手同士で、部屋割りをされるものだと思っていました。
もう察していると思いますが、私の同部屋は、そのエースの方でした。
そんなに話したこともないのに、どーしようと思いました。
緊張して寝れないなー、とも思ってたし、何より調整の邪魔をして、試合に影響が出たらどうしよう、、とも思っていました。
だけど逆に、これは、エースというのはどうあるべきか、どんな調整をしているのか、試合前の過ごし方など、いろいろ学べるチャンスだとも思いました。
これも監督が私を育てるために、やってくれたことだと受け止めていました。
日本一がかかった大事な決勝戦の前夜、どう過ごすんだろうと、興味津々で観察していたのですが、
その先輩はいつもと変わらず、特に何かをするというわけでもなく、フツーに次の日の朝を迎え、決勝戦で好投していました。
緊張なんてまるで感じられず、平然と過ごしていました。
私はこれといってその先輩から普段の生活の過ごし方を学ぶことはありませんでしたが、
逆に、毎日の練習で必死に取り組んでいるから、大事な試合を前にしても緊張するなんてことがなかったんだなと思いました。
それだけの努力をしてきたから、『自信』があったんだと思います。
文字通り、自分を信じていたんだと思います。
自分を信じれるほど、自らを追い込み、鍛錬してきたんだと思いました。
私もその域に到達し、チームのエースになれるよう、その時からさらに、日々の練習を大事に取り組むようにしました。
エースの涙
そんな絶対的エースの先輩が一度だけ見せた涙は、私にとってもとても印象深いものでした。
先輩は、当然のようにプロ野球のドラフト候補にあがっていました。
アンダースローの投手ということで、プロ野球界にはなかなかいないジャンルで、同じくプロ野球を目指していた私は、その先輩がプロにいくのか、とても気になっていました。
そして、ドラフトの当日、
その先輩の名前が出てくることはありませんでした。
私は、こんな人でもプロにいけないのか。。。
と、プロの厳しさと、壁の高さに、打ちのめされ、ショックを受けました。
そして、ドラフトの次の日、先輩がグランドに現れ、監督と話をしていました。
何を話ししていたかは、わかりませんが、
話を終えて、部屋から出てきた先輩はこれまで見せたことのない表情をしていました。
おそらく部屋の中で涙を流しながら話をしていたんだろうなと思います。
その顔を見た時に、先輩のプロ野球にかける思いが一気に伝わってきました。
同じ目標を持つ私にとって、この出来事は、大きな意味を持っていました。
日本一の投手でもプロにいけないなら、それ以上の存在になるほど頑張らないといけない。
自分は絶対に負けない。
自分はその大きな壁を越えて、プロにいくんだ!と強く心に決めた瞬間でもありました。
動き出す野球人生 【2年生】
リーグ戦の日程は、簡単に言うと、毎週土曜、日曜の2試合を6チームで戦うので、
5週するという感じでした。
2年生の時の私のポジションは、先発ではなく、中継ぎで土日とも待機して、4年生の先発の2番手という感じの役割でした。
なので、毎週土日は、試合で投げさせてもらう機会がありました。
2年生の秋の大会で、チームは勝ち上がり、リーグ戦を優勝して、九州大会に出場しました。
春のリーグ戦は、リーグ戦を勝ち上がれば全国大会に出場できるのですが、秋は九州大会でも勝ち上がらないと、全国大会には出れませんでした。
その九州大会で、中継ぎで投げていたことが評価されたのか、大事な九州大会の決勝戦で先発を任されることになりました。
この試合に勝てば全国大会出場。
もちろん負ければ、その場でここまで勝ち上がってきたことが、パーになる試合です。
4年生にとっても、最後の試合になるかもしれない大事な試合でした。
私は、その試合で完封し、チームは全国大会に出場することになりました。
そして、全国大会では、2回戦で敗れてしまいましたが、
2試合とも、投げさせてもらい、全国の舞台や、九州大会決勝など、とても大きな経験をさせてもらいました。
この2年生の時に私の野球人生は、大きく変化したと思います。
今まで、頑張りたいと思いながらも、決して主役ではなく、脇役だった人生から、表舞台に足を踏み入れた時でもありました。
待ち受ける落とし穴 【3年生】
人生は誰も順風満帆にはいかないもので、
3年生になった時、私は、
投手で大事な、肩を痛めてしまいました。
4年生が卒業して、おのずと次の年は私が先発をして、チームを引っ張っていかないといけないと思っていました。
そのために、無知にガンガン練習をしてしまい、故障をしてしまいました。
私は病院に通いながら、練習をしていたのですが、なかなか回復せず、
福岡でプロ野球選手も通うと有名な病院に行くことにしました。
自分の身体を知る
その病院の先生に提案されたのは、
病院に入院して、トレーニングを学びながらリハビリをしていく「ミニキャンプ」というものでした。
興味はありましたが、費用がかなり掛かる内容のものでした。
私自身ではどうすることもできなかったので、家族に相談すると、
「すぐに入院して頑張ってこい」と言ってくれました。
その当時、家計的にも厳しかったであろうに、すぐに決断してくれた両親には本当に感謝しています。
そのミニキャンプは、自分の身体を1から見直し、身体に合ったトレーニングをしていくもので、
今までむやみやたらに体を大きくするためにやっていた私にとって、
大きな知識として、今後の野球人生に貢献してくれるものとなりました。
その時決断してくれた、両親、そして、監督、大学、病院の先生、担当してくれた、リハビリの先生、本当に感謝しています。
3年時、私はチームに貢献することはできませんでしたが、
しっかりと体を治し、そしてたくさん学び、
『恩返し』という新たな発奮材料を持つことができました。
選手としては、何もできなかった1年ですが、ただがむしゃらに野球を頑張っていた私にとって、
支えてくれている人がいるから、がむしゃらにやっていけるんだと気づかされ、感謝の気持ちが芽生え、
人として成長できた1年になったと思います。
最後に
今回、最初は【後編】のつもりで書いていたのですが、
あまりにも伝えたいことが多すぎて、
【中編】という形になってしまいました。
これまでの野球人生で学んだことや、その時の気持ちだったりをしっかりと伝えていき、
読んでいただいた方の人生の後押しが、微力でも出来たらいいなと思います。
次回は、いよいよ補欠からの逆転劇。
プロの世界に。
よろしくお願いします。
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません