3度目の正直 球団との温度差 夢を持つ者 人の成長とは
野球の神様
腰の怪我から出遅れた2年目のシーズンではありましたが、
とにかく必死に、野球と向き合い、
そして、課題の『球速』と向き合い頑張っていました。
その球速はというと、
思うほど順調には上がってくれませんでしたが、
140キロ中盤くらいが出せるようにはなっていました。
その日の体調や、試合の状況に応じて、
チャンスと思った時は、なりふり構わず思い切り腕を振りました。
とにかく強い球を投げることだけを意識していました。
成績はそこそこという感じでした。
昨年の経験から、独立リーグの成績にはそこまで目を向けていませんでした。
独立リーグで初めて失点をした時のことです。
チームの方が『西村初失点』と盛り上げました。
当然嬉しくはありませんでしたが、
これも球団との温度差の一つかと感じながら、
『否定的な記事が出てこそ本物の選手』
と、昔どこかで耳にしたことがあったので、
いいように解釈して、うまく聞き流すことができました。
どちらかと言えば、後輩たちの方が
「こんなことしなくていいのに」
と怒ってくれていました。
球団との気持ちの温度差を感じていたタイミングだったので、
その後輩たちの優しさには、気持ちが救われました。
私の代わりに怒ってくれてありがとう。
そんな日々を過ごしていたある日のこと。
一つのニュースが飛び込んできました。
この年のオフに行われる12球団合同トライアウトの球場が、
『阪神甲子園球場』
で開催されるという事でした。
このニュースを知った時、
私は、
野球の神様の存在を感じざるを得ませんでした。
野球の聖地。
そして、言うまでもなく、
自身が所属していた球団のホームグラウンド。
喜び、悔しさ、憧れ、輝き、
本当に数えきれないほどの様々な想いが詰まった球場。
また、あのマウンドに立つことができる。
また、あの景色が見れる。
また、あの空気が吸える。
どんな立場であれ、
どんな境遇であれ、
マウンドに立つ姿を想像し、
心が震えました。
幼稚な大人
話は少し変わりますが、
ここで一つ、私の恥ずかしくも幼稚な自己紹介をしたいと思います。
私は昔から、周りの人にはあまり興味がありませんでした。
人が嫌いというわけではありません。
どちらかと言うと、
友達とワイワイ笑い合う時間はとても好きなタイプです。
だけど、深く関わること、執着することはありませんでした。
とにかく馴れ合うことが嫌いでした。
特に野球になると、
その馴れ合いが、勝負勘を鈍らせてしまいそうで、
なるべく馴れ合うこと、群れることを避けていました。
常に、誰にも負けたくないという気持ちでいました。
心のどこかに究極の負けず嫌いが隠れていたのかもしれません。
競争意識が極端に強かったのかもしれません。
特に同世代には絶対に負けるものかと思っていました。
人に興味がなかったのは、
その気持ちがどこか癖になっていたのかもしれません。
中学、高校、大学、そしてプロと、
それぞれ居た当時のことですが、
正直に話しますと、
私は特に、自分から見た『後輩』と呼ばれる存在に、
全くと言っていいほど関心がありませんでした。
なので、
後輩に偉そうにしたり、
先輩面をして後輩をこき使ったり、いじめたり。
そんなことをこれまで一度もしたことがありません。
そんなことをしている人を見ると、
先輩ってそんなに偉いのか?と不思議に思っていました。
ただ、その代わりに昔から、
「年下に負けるなんてあり得ない。後輩たちは黙ってみてろ、自分がなんとかしてやる」
とは思っていました。
自分よりも経験が豊富な年上の人をどう倒すか。
ということにしか興味がありませんでした。
こんな幼稚ながらも、
頑固でブレない考え方のまま、
年齢と体だけ、大人になってしまいました。
変わっていく野球
そのことも踏まえた上で、
話を当時に戻します。
そんな私ですが、
独立リーグに来たその当時、
周りには『後輩』しか居ませんでした。
チーム最年長だったので、こればかりは仕方のないことでした。
私がこのチームに入ってすぐの時は、
周りの選手たちは、私に警戒した視線を送り、
声をかけてくる選手なんていませんでした。
こちらから声をかけてようやく会話になる程度でした。
一人で黙々と集中したいタイプの私にとっては、
特にストレスも感じることはありませんでした。
だけど、時には楽しく笑い合いたいという、
いち『人』としての寂しさも多少ありました。
なので、そこをクリアするには、
これまで全く関心のなかった『後輩』たちとコミュニケーションを取らないといけませんでした。
不安もありましたが、
話をしてみると、
案外すぐに打ち解けることができました。
今思えば、
とても心優しい後輩ばかりで、
その点では、私は本当に周りに恵まれていたなと思います。
この頃から私の中で、
少しずつ気持ちの変化が起きていました。
前文にも書いたように、
私は、
「後輩なんかに出番はない、自分が投げて抑えるから黙ってみてろ」
という気持ちを持っていました。
なので、後輩が投げて打たれてピンチになろうものなら、
「早く俺に代われ、俺がなんとかしてやる」
そんな気持ちでいました。
とにかく我が我がと、
自分がヒーローになりたくてしょうがないタイプでした。
ただ、
この頃の私は、
試合で投げている後輩を応援していることの方が多くなっていました。
ピンチになれば、
手に汗を握り、
なんとか頑張れ。
お前ならできる。
と、必死に応援をしていました。
気持ちの正体
今までになかった後輩たちと『共に戦う』という意識。
こんな気持ちの変化が起きたのには、
とても簡単な理由がありました。
それは、
『プロ野球選手になりたい』
という、
同じ夢を持っている者同士だったということでした。
周りの若い選手たちは1度目のプロ野球選手。
私は2度目のプロ野球選手。
年齢と立場は違えど、
目指しているものは同じでした。
なので、これまで関心のなかった『後輩』たちと、
すんなり分かり合えることができたんだと思います。
特に、プロ野球選手になりたいと、強く思ってる選手ほど、
私にアドバイスを求めに来てくれました。
昔から、夢を語ることが大好きな私は、喜んで応えました。
無関心だった後輩という存在から、
リスペクトに変わるきっかけとなりました。
温度差の正体
ただ、その傍らでは、
チームスタッフとの温度差を感じていました。
この温度差の正体は、
ある意味冷静に私の事を見ていたのか、
もうプロには戻れない。
と見切りをつけられていたことが、
雰囲気として私に伝わって来ていたものだと思います。
独立リーグ1年目には、
好成績を残し、最大のチャンスが訪れ、
球団は盛り上げてくれました。
しかし、そのチャンスを掴むことができませんでした。
そして2年目、
気合いとは裏腹に、怪我からのスタート。
球団関係者の初年度とはまったく違う対応。
冷ややかな視線、感じる孤独感。
そんな中でも、
関係ない、見返してやるんだと、
懸命に夢を追いかけていました。
『夢』を持ち頑張る者、
そうでない者。
人の『夢』を笑う者。
10歳も若い選手の中に混じって、
温度差から感じる、押し付けられた現実と戦い、
その現実と目を合わせないようにと、
大げさに、意図的に、自分と向き合い、
いろんな工夫を凝らし、
メンタルを保っていました。
この頃から、
夢を追う選手たちといる時の方が、当然、居心地が良くなっていました。
夢を追う選手たちから『力』と『勇気』をもらい、
少ない可能性と分かっていながらも、
立ち向かっていく姿を見せることで、
我々が目指しているプロ野球という世界は、
それだけの魅力があるところなんだよと、
時には『力』を与え、
同じ夢をもつ者同士、
切磋琢磨していきました。
そんな日々を過ごしながら、
憧れの舞台、
甲子園で行われる、
3回目のトライアウトが迫っていました。
静かなグラウンド
シーズンも終了し、
石川県にも冷たい風が吹き始めました。
野球選手にとっては、
寂しい季節がやってきました。
良いシーズンを送った選手は、さらにレベルアップを図る前向きな季節。
しかし結果を残せなかった選手にとっては、寒さが倍以上に感じる季節。
私は今でも秋の冷たい風を感じると、
戦力外になった時の記憶が蘇り、
胸が締め付けられます。
なので、
未だに秋を好きになれません。
石川での2年目のシーズンも終了しました。
独立リーグの選手たちは、
試合があっていないオフシーズンは給料が発生しないため、
球団に斡旋されたバイト先で仕事をします。
1日おきにグラウンドが借りられているので、
可能な選手はそこで自主練習をします。
私はバイトはしていませんでした。
頭を野球一色にするためでした。
その間、収入は0ですが、
貯金を切り崩しながら、
トライアウトに向けてとにかく練習を続けました。
グラウンドが使えない時は、
近所の公園を1人で走り回って、
ジムでトレーニング。
邪魔にならないところでシャドーピッチング。
1日おきにグラウンドが借りられていたとしても、
練習相手を探すことに苦労をしました。
静かなグラウンドで、1人練習を続けました。
昨年は、残した成績の影響もあり、
球団に協力されてるような雰囲気はありましたが、
今年は、わかりやすく、
私の周りには誰もいませんでした。
トライアウトの手続きも、
こちらからお願いしてようやく動き出してもらえる。
トライアウトを受けることが、
こんなにも気を遣うものに変化するとは思っていませんでした。
忘れられている。
そう疑ってしまうほどでした。
それでも『甲子園』という舞台で投げられることをモチベーションに、
とにかくパフォーマンスを落とさないように努力しました。
この時も、積極的に協力をしてくれたのはチームの後輩たちでした。
私が1人でグラウンドで練習していると、相手をしに出てきてくれたり、
バイトの合間に、
バイトの作業着のまま、公園でキャッチボールの相手をしてくれたりと、
本当に、助かりました。
もがき苦しむ先輩の傷だらけの心には、
後輩たちの優しさがいたく沁み入りました。
本当に石川の後輩たちには、
たくさんの勇気をもらいました。
感謝の気持ちが、
私の原動力となっていました。
この場をお借りして、
本当にありがとう。
人の成長
この年に学び、今でも変わらない考え方があります。
それは自分自身と向き合うことの大切さです。
この年、私はあることがきっかけで、
人との温度差を感じ、
人の評価を気にし始め、
人を見るようになりました。
熱量の合う人としか関わりたくないと、
人を選ぶようになりました。
その結果、自分と向き合う時間を、自ら削ってしまっていました。
もちろん孤立したい訳ではありませんが、
誰と関わって、誰と関わらないとか、
くだらないことに頭を使うことが、
本当に無駄な時間だということを学びました。
自分と向き合い、一生懸命な人には、
勝手に同じ気持ちを持った人が集まってきます。
自分と向き合い、
自分自身が出したアイデアでないと、
良くも悪くも、物事が起きた時に次に進むための本当の経験にはなりません。
人に頼りきり、人任せになると、
最終的に人の責任にしてしまいます。
自分と向き合い、
自分で気づき、自分で閃き、自分でトライすることによって、
やっと真っ当な経験と反省ができます。
この真っ当な経験と、真っ当な反省が、
何よりも人の成長には大切な要素だと思います。
自分と真正面から向き合い、
妥協せず、自分に厳しくすることで、
本当に成長できると思います。
自分で判断する人。
人に頼る人。
この差は、後にかなり大きな差となっていくと思っています。
次回は、
いよいよ、甲子園でのトライアウトです。
よろしくお願いします。
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