野球の神様からの贈り物 甲子園球場 大切なもの
不思議な感覚
その日も公園でランニングをして、
ジムに行きトレーニング。
トライアウトの日まで、コンディションを落とさないように、
なんとか工夫をしながら、毎日を過ごしていました。
キャッチボールができる日は、3日に1度あればいい方でした。
キャッチボールができる日は必ずブルペンに入って、
マウンドの傾斜の感覚を忘れないようにしました。
手伝ってくれる選手もキャッチャーとは限らないので、
本格的なピッチング練習は、ほぼできませんでした。
しかし、そんな事はもう慣れっ子でした。
1人で練習をすること。
練習場所を見つけること。
プレーをイメージする力も、前よりついていたと思います。
最後の調整も終えて、
前日に準備した荷物を抱え、
いよいよ、トライアウト会場『甲子園球場』のある、
西宮へ出発する日を迎えました。
私は、大事な日が近づくと、
意図的に1人の時間を増やし、
なるべく人と話さず、
1人で行動するようにしてました。
理由はただ単に、『集中』をしたいからです。
人の発言、そして自分の発言に惑わされたくないということもありました。
そんな私に、
出発前日の夜、
1人の後輩から連絡がきました。
「どうやって(大阪まで)行かれるんですか?」
と、聞いてきました。
私は、
「電車で行くよ」
と答えました。
すると、
「駅まではどうやって行かれるんですか?」
と聞いてきます。
私は、
「タクシーで行くよ」
と答えると、
待ってましたと言わんばかりに、
「僕に送らせてください」
と言ってきてくれました。
私は、素直に嬉しい気持ちはありましたが、
前にも書いたように、1人で行動したいという、
一種のゲン担ぎものようなものもあったので、
「申し訳ないからいいよー」
と、本心とは別の答え方で断りました。
しかし後輩は、
「送りたいです」
「僕に送らせてください」
と、何がなんでもという感じで言ってくるので、
ゲン担ぎがあるなんて言えない私は、
唯一の「申し訳ない」という言い訳を、
まっすぐに優しい後輩の言葉に跳ね返され、
断る理由もなくなってしまい、
そこまで言うならと、
お願いすることにしました。
『移動も長いし、集中するのは向こうについてからでいいか』
と、ゲン担ぎの内容を一部変更することにしました。
ただ、普段からよく、たわいもない話をする後輩だったので、
道中、いつものようにペラペラと喋ってしまい、
自分の気持ちが緩みすぎてしまわないか、
心配はしてました。
かと言って終始ピリピリ緊張感を出すのも、
先輩として格好がつかないな、
と思っていたので、
とりあえず、頑張って普通を装うことにしました。
当日、
約束の時間ぴったりに迎えにきてくれました。
普段から一緒に行動する事が多く、乗り慣れた助手席。
金沢駅までの車内は、不思議な感覚でした。
お互いが気を遣い、
『初めまして』かのような、ぎこちない会話。
心なしか、
いつもより安全運転をしてくれてるような気がしました。
こんなに後輩に気を遣わせて申し訳ないなと思いながら、
絞り出した話題も、いつものようにはいかず、
うまく長続きしませんでした。
そんな雰囲気のまま、金沢駅に到着し、
「ありがとうね」
と言うと、
「中までお見送りさせてください」
と、言ってくれます。
車内、ぎこちない雰囲気だったにも関わらず、
最後までついてくると言って、
中までついてきてくれました。
出発時刻まで少し時間があったので、
送ってくれたお礼にと、
駅構内のカフェに行きました。
そのカフェでも、
驚くほど会話はありませんでした。
心の中で、
「すごい気を遣わせてるな」
「あ、自分が話さなかったら後輩は普段、こんなに大人しくしてるんだ」
と、新たな発見までしていました。
私は夜寝れなくなるといけないと、
ただただ、冷めていくコーヒーを眺めていました。
時間がきたので改札に行くと、
「頑張ってください!応援してます!」
と、おそらくこれがずっと言いたかったんだろうなと思いながら、
「ありがとね。頑張ってくるよ」
と、言いながら、
私は、満面の『作り笑顔』を残し、
金沢駅をあとにしました。
特別な夜
後輩とお別れをして、
電車での移動中、
もう一度集中モードにと、
気持ちを切り替えていました。
その途中、
『後輩は気を遣っていたわけじゃなくて、
自分のことのように緊張していたのかな』
そう思うと、何か笑えてきました。
後輩が駅まで送ってくれたおかげで、
私がしていた心配とは逆に、
程よくリラックスができて、
とてもいい状態でいられました。
そして何より、
『ありがとう』と言う感謝の気持ちが、
私の心を落ち着かせてくれていました。
新大阪駅に着きました。
そこから電車を乗り換えて、
事前に予約をしていたホテルがある、尼崎駅に向かいました。
大阪についてからは、
胸の高鳴りと、
見覚えのある景色や建物を見て、
「あの頃は、、」
と、懐かしく、
そして、
その気持ちの大半は、
悔しさの中にある、『寂しさ』が占めていました。
だけど私は、
「その生活を取り戻しにここに来たんだ!」と、
湿っぽくなる気持ちを、熱く奮い立たせました。
ホテルにチェックインをして、
翌日までの流れはというと、
3度目ともなると、それも慣れたものでした。
私は大事な登板の前の日は、
昔から決まって炭水化物を摂るようにしてました。
近所のうどん屋さんを調べ、軽めの夕食。
そしてホテルに戻りお風呂に入って、ストレッチ。
その後は、狭い部屋の中でしたが、
ホテルのタオルを使ってシャドーピッチング。
ベッドに入り、もう一度ストレッチをしながら、
参加者の打者の動画を検索して、イメージトレーニング。
1球だけ持ってきたボールを握りしめ、
願いを込めながら就寝。
1度目のトライアウトの時、
「こんな夜はもう2度と嫌だ」と思っていた夜が、
今回で3度目となる、
『特別な夜』を過ごしました。
再会
朝、目が覚めると、
まずは体のチェック。
首をよく寝違える私は、
恐る恐る体を動かし始めました。
異常なし。
第一関門という名の、
この日一番の課題をクリアしました。
昔トレーナーに言われた一言。
「お前は体が元気なら大丈夫」
この言葉が、
これまで何度も私の胸を張らせてくれました。
すべてに願いが込められた、
道具やユニフォーム。
バッグを背負い、
「よし、行くぞ」
気合いと共に、甲子園球場に向かいました。
タクシーの窓から『43号線』の見慣れた景色を眺めていました。
背番号が『43番』だった事もあり、
『43号線』には、当時から密かに親しみを感じていました。
甲子園球場に到着しました。
この日1番の胸の高鳴りを感じたのは、
甲子園球場を外から見た瞬間でした。
恐らくこれから先の人生で、
これほど胸の高鳴る球場は無いと思います。
受付も終え、ロッカーに向かい準備をしました。
受付をする時から「久しぶり」と、
知ってる顔に会えて、少しホッとしました。
懐かしいロッカーで、早々に着替えを済ませ、
前のめりになる気持ちを抑えきれず、
グラウンドに向かいました。
扉を開き、ベンチの階段を駆け上がりました。
朝日に照らされたグラウンドは、
その時の私には眩しすぎました。
圧倒的。
光り輝くスタンド。
綺麗な緑色の芝。
綺麗に整備されたグラウンド。
すべてにおいて圧倒的な球場でした。
球場の雰囲気だけでも圧倒され、浮き足立ちそうでしたが、
どこか包み込まれるような、大きな優しさもあり、
私は、深く球場の空気を吸い込みながら、
ここでプレーできるという喜びを噛み締めていました。
阪神園芸さんの許可をもらい、
マウンドのチェックに行きました。
甲子園球場のマウンドには、
個人的に感じる、ちょっと変わった特徴があります。
甲子園のマウンドに立つと、
観客席が自分より上の位置にあるはずなのに、
舞台に上がり、観客席が低く見えるような、
不思議な感覚があります。
その時も、不思議で懐かしいマウンドからの景色に、
投げる前にも関わらず、
しみじみと、
「本当にありがたい」
という気持ちになりました。
マウンドに立てるだけで、感謝してしまうほど、
この『再会』は、私にとって、嬉しいものでした。
集合がかかるまでの時間、
手伝いに来てくれていたスタッフさんや、記者さん、
会う人のほとんどが顔見知りで、どこか居心地の良さを感じていました。
集合がかかり、当日の流れや説明を聞いて、
いよいよ、3度目のトライアウトが始まりました。
私の順番が来るまでは、
ベンチから、トライアウトの様子を見学していました。
観客席を見ると、
バックネット裏と、内野席に、
想像を超える数の野球ファンが詰めかけていました。
1球1球や、ワンプレーに対して、
温かい拍手や声援が聞こえていました。
久しぶりに聞くたくさんの人たちの拍手が、とても心地よく聞こえました。
特にホームチームのタイガースの選手が登場した時は、
ひと際大きな拍手と歓声で、
素直に、
羨ましいなと思っていました。
大切なもの
私の順番が近づいてきました。
室内のブルペンに移動し、
投球練習を開始しました。
この時、ブルペンにいたスタッフの方も、
もちろん顔見知りでした。
そのスタッフの方にボールを受けてもらうことも、
久しぶりで、嬉しいものでした。
一緒に戦っていたその当時と変わらない準備の仕方で、
最後の一球を投げ込みました。
「ありがとうございました!行ってきます!」
すると、
昔よりも、大きく、
そして慣れ親しんだ『タメ口』で、
「頑張ってこいよ!」
その純粋な言葉と、聞き慣れていた声に、
胸が熱くなりました。
ブルペンを後にし、
観客席下の通路を抜け、
一塁後方の入り口からグラウンドに入りました。
朝見た時よりも、観客が増えているように感じました。
その分、声援や拍手も大きくなっていて、
いよいよだなと、気合いが入りました。
私の出番が次と迫り、
準備のため、一塁側のファールゾーンでキャッチボールをしている時のことでした。
「西村選手ー」
「西村ー」
違うユニフォームを着ているにもかかわらず、
ファンの方から、たくさん声をかけてもらいました。
嬉しくて、
会釈をしながら、
ふと、何気なくスタンドに目をやると、
最前列に、見覚えのある顔が並んでいました。
石川の後輩たちでした。
その中には、
私を駅まで送ってくれた後輩もいました。
わざわざ朝早くに、
石川県から、車を乗り合いし、
私には内緒で、
応援に駆けつけてくれていました。
「トクン」
私の心臓が大きく鳴りました。
張りに張っていた気持ちの糸が、
一瞬、緩みかけました。
しっかり見てしまうと、
本当に感情が込み上げてしまうと思い、
必死に我慢をしました。
「ピッチャー、西村」
球場に私の名前がコールされました。
大声で声援をくれる後輩達を背に、
マウンドに向かいました。
トライアウトの内容に至るまでに、
思い出深いことや、印象深いことが多すぎて、
なかなか話が進みませんが、
すべてを伝えるには、どうしても長くなってしまいます。
最後まで読んでいただき、
ありがとうございます。
次回は、
トライアウトの続きと、
その後を書かせていただきます。
よろしくお願いします。
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プロ野球選手生活 阪神タイガース フレッシュオールスター アリゾナフォールリーグ
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現役続行を希望 トライアウト 独立リーグ 石川ミリオンスターズ
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