2度目のトライアウト 変化していく気持ち

自信

 

 

『0.00』

これは独立リーグ1年目に残した私の防御率です。

数字通り、私は北信越のBCリーグで、

1点も与えることなくシーズンを終えました。

登板機会は多くはありませんでしたが、

チームのクローザーとして、点を与えずにワンシーズンを終えることができました。

 

その年の成績は、

26試合 2勝0敗11セーブ 101打者 安打13

三振23 四球8 自責点0 防御率0.00

 

この年の終わりに、2度目のトライアウトを受けるつもりでいた私は、

これ以上ない成績を残すことができました。

いろいろな方から、

また、いろいろな方面から、たくさんのお褒めの言葉をいただきました。

チームの監督、コーチ、タイガース時代お世話になった先輩、

BCリーグの関係者、記者さん。

たくさんの方が、プロ野球復帰を目指す私の気持ちをを後押ししてくれました。

その与えられた勇気は、

常に『不安』と隣同士で戦ってきた私の中で、

少しずつ『自信』に変化していきました。

 

 

トライアウト

 

 

独立リーグで、ひと際目立つ成績を残せた私は、

周りの後押しもあり、

満を持して、2度目のトライアウトに臨みました。

初めて経験したトライアウトでは、

緊張しながらも、しっかり結果を残すことができたのですが、

残念ながらプロ野球関係者からの連絡はありませんでした。

だけどそれは、同年にまともなピッチングもできず、戦力外になったピッチャーなので、

スカウトマンの方のチェックも厳しくならざるをえません。

たまたま抑えることだってあるので、内容が不十分でした。

しかし今回は違います。

独立リーグとはいえ、

1年間しっかり戦えること、投げ抜くこともアピールできたので、

トライアウトでしっかりした投球ができれば、

プロに戻れるチャンスがあるんではないかと思っていました。

それは1回目のトライアウトを受けた時に感じていたことでもありました。

トライアウトを受ける前にある程度注目をされていないと、

たくさんのトライアウト参加者の中から、

目立ってアピールすることはかなり難しくなってきます。

そして、その1回きりをたまたま抑えたとしても、

そこまで評価には値しないということも理解していました。

なので今回の2度目のトライアウトは私の中でも、

大きな期待を持ったものとなりました。

2度目のトライアウト。

その場所は、

昨年と同じ、静岡県にある、『草薙球場』でした。

 

元気ならお前は大丈夫

 

 

2回目のトライアウトということもあり、

宿泊場所や、移動の予約も手際よくとることができました。

荷物もまとめ、金沢を出発しました。

夕方ごろ静岡に到着すると、

一応ゲン担ぎということで、去年も行ったうどん屋さんを探しました。

残念ながら、時間が遅くなってしまい閉まっていました。

私はほかのお店で軽めの夕食をとり、

去年と同様のルーティンで、

ゆっくりお風呂に入り、ストレッチをして、軽めのシャドーピッチングをした後に、

ベッドに入りました。

予想していた通り、今年も寝付くことができませんでした。

これも去年経験しているので、特に焦ることなく、

トライアウトに出場する野手の動画を、ネットで調べて見ていました。

その後は願いを込め、ボールを握りしめて眠りにつきました。

 

朝になりました。

朝起きてまずやることは、

体に異常がないかのチェックです。

首をよく寝違える私は、大事な日の朝はいつも心配でした。

そーっと動き始めると、

この日は全く問題なく、体もいい状態でした。

この時、

昔トレーナーに言われて勇気をもらった言葉。

「お前は、体さえ元気だったら大丈夫だよ」

この言葉が頭にスッと降りてきて、

「今日はきっと大丈夫だ」

と自分に言い聞かせました。

 

体感ではかなり寒く感じる朝でした。

タクシーに乗り球場入りしました。

 

球場入りをしたら、

説明や、出場メンバー、順番などが記載されてある書類をもらい、ロッカーに行きました。

ユニフォームに着替えました。

周りで着替えている、プロ野球のユニフォームが眩しく見えました。

着替えが終わると、球場のマウンドをチェックしに行きました。

そこまでの動きは、何か自然と体に染みついたルーティンみたいなものでした。

その後は、自分の出番が来るまでゆっくりと準備をし、

少しずつ気持ちを高めていきました。

いよいよ私の順番が回ってきました。

 

 

たくさんの応援を胸に

 

 

私が独立リーグに入団させてもらい、

現役で野球ができることに、心から感謝してました。

だけど現実は、とても厳しい環境で、

契約の時から心が折れそうになりました。

生活ができるかどうかわからないほどの給料。

しかしその度に、目指している大きな目標を思い出し、

折れそうになる心を奮い立たせていました。

シーズン中は辛いことや驚くこともたくさんありました。

試合の過密スケジュールに、長時間のバス移動。

地域の方たちとの交流イベントもあり、

完璧なコンディショニングを求めることは困難な状況でした。

しかし、シーズンが終わり、

『防御率0.00』という、

特殊な成績を残すと、

球団を含めたくさんの方たちが、応援してくれました。

ネット番組のインタビューやたくさんの取材。

「この成績でプロに戻れなかったら、独立リーグの存在も疑われる」

とも言ってもらいました。

さらには、

『防御率0.00記録Tシャツ』

このTシャツのクオリティはびっくりするほど残念なものでしたが、

気持ちはとても嬉しかったです。

球団関係者の方からは、

「プロの関係者にプッシュしといたから、頑張ってね」

と言われ、素直に喜んでいました。

とにかくたくさんの応援に支えられている実感はありましたが、

中には過度なアピールや報告もあり、

正当な評価をもらいたいと願う私としては、気まずさとプレッシャーもありました。

しかし、それだけたくさん応援してもらっているんだと、

意気に感じ、やる気に変換することにしました。

 

 

結果

 

 

2015年のトライアウトも昨年と同様、

打者3人との対戦でした。

先頭バッターに対して投じた初球は、自分でも力みを感じるほどでした。

しかしその後は冷静に修正することができ、

打者3人を、

無安打、無四球、2奪三振と、

結果的には完璧に抑えることができました。

トライアウトでのボール自体は納得のいくものではありませんでしたが、

その不安な気持ちも、今年に関しては、

何よりも1年間の『防御率0.00』という成績が支えとなってくれていました。

それに、プロの世界に戻れればボールの質も上げていける自信もありました。

 

私は大きな期待を胸に、帰り支度をしました。

私のことをよく知る人たちは、

その結果をとても喜んでくれました。

「後は連絡が来るといいね」と、

声をかけてもらいました。

私は連絡を待ちました。

正直に言うと、帰りの電車でも携帯を握りしめていました。

 

数日が経ちました、

1日1日がとても長く感じました。

「連絡来た?」の連絡はたくさん来ましたが、

期間を迎えても、プロ野球関係者からの連絡はありませんでした。

 

期間を過ぎた日の深夜、私は眠ることができませんでした。

自分自身にプレッシャーをかけ、日々過ごしてきた毎日。

2度目のプロ野球選手になることを夢見て、頑張ってきた毎日。

自分を律し、犠牲にしてきた毎日。

そして残した、これ以上ない成績。

たくさんの応援。家族。

色んな記憶や、いろんな思いが頭を駆け巡り、

これまで積み上げて支えてきたものが、音を立てて崩れていく感覚がしました。

 

冷えていく心

 

 

プロ野球を肘の怪我が原因で戦力外になり、

抜け殻状態になった私に、

独立リーグでもう一度プレーできるチャンスと、

もう一度プロ野球に挑戦できるチャンスを与えていただき、

色んな自問自答を繰り返し、模索し、彷徨いながらも。

厳しい環境の中、メンタルを保ち続け、

1年間投げられる姿をみせることと、圧倒的な成績を残すことができました。

私の中で、これでまたプロ野球選手としてプレーをさせてもらえるかもと、

勝手に期待をしていましたが、

現実は厳しいものでした。

周りからの期待、そして自分自身への期待に応えることができませんでした。

 

正直に言いますと、

この時に、私の夢は見えなくなってしまいました。

もうプロ野球界に必要とされていないんだと思うようにもなってしまいました。

 

力不足なことも実感していました。

全盛期という言葉は嫌いですが、

俗にいう全盛期。調子のよかった時に比べると、

球威もキレもよくはありませんでした。

しかし、常に進化を意識し、新しい自分を追い求めて、

本当に一生懸命頑張ってきたので、

悔しいを通り越して、一種の燃え尽きのような感覚になりました。

自分自身のダメージもそうですが、

期待をしてくれた方々、いろんな方たちに対する気持ちも乗っかり、

ショックが想像以上に大きかったことも、心が冷めていった一つの要因とも言えます。

後日談ではありますが、

プロ野球関係者や、スカウトの方が言っていたのは、

「チームからの報告ほどの球ではない」

とのことでした。

球速の数字を増して報告をしてもらっていたようでした。

決してそんなことが原因ではないと思いますが、

私はそれだけのことをしてもらっても、結果を出せなかったことに、

悔しく、そして恥ずかしくも思いました。

 

 

今回も長々と書かせてもらいましたが、

この年の終わりに、大きく気持ちの変化があったことは間違いありませんでした。

次回も独立リーグ時代の話を書かせてもらいます。

 

 

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