独立リーグ時代 石川ミリオンスターズ 最年長クローザー 『0.00』 2度目のトライアウト
日々の積み重ね
石川での生活も慣れ始め、
シーズンの試合もどんどん消化されていきました。
1シーズン終わってプロに戻るものだと思っていたのですが、
プロとアマチュアの入れ替えのルールとして、
7月までの前半戦にも、プロとの入れ替えのチャンスがあると聞いて、
俄然やる気を出して戦っていました。
毎日毎日が就職活動で、
気を抜けない日々でした。
私はチームの『クローザー』を任されていました。
残念ながら当時の石川はそこまで強いわけではなかったので、
そこまで登板機会が巡ってくるわけではありませんでしたが、
登板するチャンスが来た時には、
背水の思いで、一球一球必死に投げていました。
この1試合で人生が変わるかもしれない、
どこで誰が見ているかわからない。
絶対にミスは許されない。
まるでドラフト前の大学時代に戻った感覚でした。
とにかくこの独立リーグで圧倒的なピッチングをして、
プロに戻るため、なりふり構わず頑張っていました。
淡い期待と模索
プロとの入れ替えの期日である7月が迫っているころ、
私の成績は、いまだ得点(自責点)を与えていませんでした。
成績を残していた私は、
もしかしたらプロの関係者からの連絡があるかもしれないと、
期待をしていました。
そしてその頃、プロ野球で戦っている、右投手リリーバーの成績や、
チーム状況なんかをニュースでチェックしていました。
普段は、ほかの人のことなんか気にしたこともないのですが、
その時は、それほど貪欲になっていました。
しかし、私の期待は無情にも、
何事もなく過ぎていきました。
周りはいたって変わらない日常の中、
一人でドキドキしていることが、
恥ずかしく、虚しく思えるほどでした。
いい成績を残すことがすべてではなく、
いい印象を残すことが大切なんだなと、
その時に思いました。
私が阪神を戦力外になった時に言われた一言。
「いい時のストレートが戻ってこない」
その言葉が重くのしかかってきた気がしました。
そこをクリアしていかないと、チャンスはないんだなとも思いました。
この時、数字を残していたので、少しだけ期待をしていたのですが、
内心、投げている球自体はまだまだ納得のいく球ではなかったので、
仕方ないなと思っていました。
とにかく、投げる球自体の力をつけることに集中しようと思いました。
葛藤
プロとの入れ替えの期日も過ぎ、
次の入れ替えのチャンスはシーズンオフ時でした。
なので、残りのシーズンを全力で戦っていこうと思いました。
ただ漠然と頑張るのではなく、
明確な目的と、ターゲットを絞って取り組んでいこうと思っていました。
しかしこの時の私は、
進むべき道を見失っていました。
はたしてどうすればプロに戻れるのだろうか。
もちろんタイミングや運もあると思いますが、
プロで戦っている選手よりもいいパフォーマンスが出すことができれば、
少なからずチャンスはあると思っていましたし、
前半戦の反省も含め、独立リーグで成績を残すよりも、
衝撃を与える球を投げることが評価されるんだと思っていました。
では、球の良さをアピールするにはどうすればいいのか、
スカウトの立場になって考えてみると、
球のキレを伝えるよりも、スピードガンの表示を伝える方が簡単だろうし、
アピールの近道は、球のスピードだと思いました。
ただ単に、球のスピードをあげればいいのか。
私の中で、その答えは『NO』でした。
スピードがいくら速くても打たれる選手をたくさん見てきました。
私のピッチャーとしての持ち味、ストロングポイントは、
『ボールのキレとコントロール』
でした。
私の野球人生で、
球のスピードを上げたいと思ったことがなく、
キレを出していく中で、勝手にスピードが上がっていったので、
スピードを上げるためにトレーニングしていく明確な方法が分かりませんでしたし、
そもそも興味がありませんでした。
ピッチャーとしての生きがいは、バッターを抑えることにあります。
スピードガンコンテストは個人プレーにすぎません。
なので私は今まで通り、
いいピッチングをすることを目標に、
トレーニングを続けていくことにしようと思いました。
結果私は、アピールへの近道よりも、
これまでの自分の野球人としての生き方を選択することにしました。
0.00
方向性に迷った末に、
出した答えは、
相手に合ったアピールをするのではなく、
自分自身のスタイルを変えず、
状態を上げていき、評価を待つという結論でした。
『人事を尽くして天命を待つ』
そしてその人事をまさに全力で尽くす思いでした。
私が阪神タイガースに入団するときに、当時の担当スカウトの方に言われた一言。
「『自分』を持ちなさい」
しっかりとした『自分』を持ち、わがままとか自分勝手とは違う、
人としての芯。
自分の意志。
ブレない心。
それを持つということ。
この言葉を胸にやってきた私は、この時もそれを信じることにしました。
題名にもある『0.00』
この数字は何かというと、
この年のシーズンの私の防御率です。
独立リーグとは言え、私はこの年、
1点も与えることなく、クローザーの仕事を完了しました。
前文でも書いたように、チームは決して強くなかったので、
登板機会もそれほど多いとは言えませんが、
普段自分の評価をすることが苦手で、
納得してしまうとそこで成長が止まってしまう、という考え方を持っている私ですが、
この時だけは自分でもよくやったと思っていました。
それだけ、自分自身にプレッシャーをかけて、
プロに戻りたい一心で、
ミスが許されないと、毎回自分に言い聞かせ、
高いハードルを設定し、自分に厳しく取り組み、
まさに人生をかけて戦ってきた1年。
シーズン中盤あたりからは、
「いつ点を取られてしまうんだろう」と、
自他ともに、頭をよぎるほどでした。
その雰囲気の中で、こんな成績を残せたことに、
満足感に似た、達成感のようなものがありました。
前半戦の入れ替えは、チャンスがありませんでしたが、
プロ野球選手を輩出する独立リーグで1年間完全に抑えたという証。
防御率『0.00』という数字は、
少なからず、プロ野球のスカウト陣にアピールできたんじゃないかと思い、
満を持して、2度目のトライアウトに臨むことになりました。
2度目のトライアウト
独立リーグで防御率『0.00』という数字を残した私は、
2度目のトライアウトに臨みました。
1度目のトライアウトでの経験を活かし、
しっかりアピールできるように準備をしていました。
そして何より、成績、評判という大きな準備が私を後押ししてくれていました。
「元プロ野球選手が独立リーグで圧倒的な数字を残し、トライアウトに挑む」
「この数字を残してプロに戻れないなら、独立リーグの存在すら疑問になる」
トライアウト前には、たくさん注目してもらいました。
その注目に比例して、期待値も上がり、
プレッシャーも大きくなっていきました。
チームの方たちもたくさん応援してくださって、
多少、過度に私の話をしてしまうほどでした。
決して嘘はつきたくないですし、
トライアウトで今のパフォーマンスをしっかりと評価してほしかったので、
そっとしておいてほしかったという気持ちもありましたが、
1年間お客さんも少ない独立リーグで野球生活を送っていたこともあり、
久しぶりに注目を浴びて、
素直に嬉しくもありました。
そして私はたくさんの期待を背に、
そして『0.00』という大きな武器をもって、
2度目のトライアウトの舞台。
草薙球場に乗り込みました。
次回は、
2度目のトライアウトの結果と、
その後、想いの変化、
そして変わっていく野球人生。
などを書いていきます。
よろしくお願いします。
《石川ミリオンスターズでの1年目の成績》
26試合 2勝0敗11セーブ 101打者 安打13 三振23 四球8 自責点0 防御率0.00
【阪神タイガース時代】
プロ野球選手生活 阪神タイガース フレッシュオールスター アリゾナフォールリーグ
手術後のリハビリ生活 もどかしい日々 そして近づく終わりの時
【独立リーグ時代】
現役続行を希望 トライアウト 独立リーグ 石川ミリオンスターズ
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