プロ野球選手生活 初勝利 初のお立ち台 1軍生活

沖縄キャンプ

 

 

今回書かせてもらうのは、私が阪神に6年いた中で、

1番投げさせていただいて、1番印象に残っている2010年の思い出話を書かせてもらいます。

 

2010年私は、1軍の沖縄キャンプから始まりました。

入団1年目の2009年は、高知県の安芸キャンプスタートで、

自分なりに必死に頑張っていましたが、1年のほとんどを2軍で暮らし、

1軍の選手と長くかかわることはほとんどありませんでした。

しかしこの年はキャンプから1軍スタートでき、

少なくともキャンプの期間は1軍の選手たちと共に、練習や生活をしていくことになります。

嬉しい気持ちと、高まる気持ちはもちろんでしたが、

本格的に絡んでいくであろう先輩たちには、緊張していました。

 

キャンプも始まり、

想像をはるかに超えるファンの数や、注目度に衝撃を受けながら、

毎日必死に練習をしていました。

1軍と2軍の違いはファンの数や注目度もありますが、

大きく違いを感じたところは、チーム内の雰囲気でした。

もちろんそんなことは違うところにいるので、当たり前なんですが、

ピリついている時間というよりは、優しい時間を過ごしているような感覚でした。

なぜ、そんな雰囲気を感じるようになったのかということは、すぐに気づくことになりました。

それは、選手の意識の違いでした。

自らやるべきことを考え、自らでやるという、

自主性の高さ、意識の高い選手の集まりでした。

なので、余計に人の視線を感じることもなく、

自分のやるべきことにシンプルに集中することができました。

 

 

開幕1軍をかけたオープン戦

 

 

キャンプもあっという間に終わり、

オープン戦が始まりました。

私は主に、中継ぎで待機することになりました。

投げた試合数は多くはありませんでしたが、

キャンプで取り組んできたことを必死に出せるよう頑張っていました。

というよりは、先のことを考える余裕なんてなく、

少ないチャンスをものにしようと、死に物狂いでした。

オープン戦も終盤に差し掛かったころ、

ある程度、開幕1軍メンバーになる選手が決まりつつありました。

私は一人の選手と開幕1軍メンバーの当落線上にいました。

試合数も残り少なくなってきたある試合で、

そのもう一人の選手が登板しました。

しかし、その選手はその試合で怪我をしてしまいました。

私は複雑な気持ちでした。

もちろん開幕1軍メンバーに入ることを目標にしていましたが、

最後まで実力で勝負をしたかったですし、

私の甘いところかもしれませんが、

その選手の気持ちを考えると、とても辛い気持ちにもなりました。

ありきたりではありますが、その選手の分も頑張ろうと思いました。

 

 

2010年初登板

 

 

シーズンが開幕し、

ブルペン投手陣のなかでの私のポジションは、

だいぶ下のほうでした。

トラブル要員、敗戦処理要員という感じでした。

しかし、私が思っていたよりも早く、登板の出番が回ってきました。

それは開幕2戦目でした。

京セラドームで行われた横浜ベイスターズ戦。

3-3でむかえた、11回表の登板でした。

私はその回を3者凡退に抑えました。

その時のピッチングは、アドレナリン全開で、

気持ちだけで抑えたようなピッチングでした。

最後のアウトを取った時、私は無意識でガッツポーズをしてしまいました。

そして、ベンチに戻り、味方の攻撃を応援していました。

2アウトになり、次の回の登板に向け、ベンチ前でキャッチボールをしていました。

その時に打席に入っていたのは、その年に移籍してきた城島健司選手でした。

カウント2ボールになり、バッティングカウントということもありましたが、

何か私の中で、次の球でこの勝負は決まるな、、

と思っていました。

そして次の球、

少し高めの球でした。

城島さんはタイミングドンピシャで振りぬきました。

その打球は高々と京セラドームの天井向かって舞い上がり、

左中間スタンドに突き刺さりました。

移籍後初ホームランがサヨナラホームランでした。

私はベンチの選手たちに促されながら、

ホームベース付近でダイヤモンドをまわってくる城島さんを迎えに行きました。

城島さんがホームインしたとき、みんなと一緒に城島さんを祝福しました。

 

話は私が幼少期の頃にさかのぼります。

福岡出身の私は、当時の福岡ドームに親に連れて行ってもらい、

地元球団である福岡ダイエーホークスを応援していました。

その時に出場していた選手の中に、城島選手もいました。

私はメガホンを振って応援をしていました。

私が中学生くらいになったころ、

家族の誰かが、一体のおもちゃの人形を持って帰ってきました。

それは、城島選手の人形でした。

私は何となくその人形を部屋に飾っていました。

 

話は戻りますが、

私がベンチ前でキャッチボールをしながら見ていた、

城島選手のサヨナラホームランを打った打席は、

昔に応援していた時の記憶と重なり、

そして今、自分自身が同じグラウンドでプレーをしていること、

その当時メガホンを握っていた手が、城島選手の体を祝福の輪の中叩いていること、

とても不思議な気持ちでした。

そこで初めて、

プロ野球選手になったんだな、

応援する側から、応援される側になったんだなと実感した瞬間でもありました。

 

 

プロ初勝利

 

 

サヨナラホームランの祝福の輪の中、

たくさんの先輩投手の方から、

「よかったな!」「おめでとう!」

と、声をかけられました。

私はその時何がよくて、何がおめでとうなのか、

全く分かっていませんでした。

開幕1軍メンバーに選ばれ、今シーズン初登板できて、

事実上の個人的な『開幕』ができたことに対してくらいのことだろうと思っていました。

すると、その日に先発をしていた先輩から、

「お前、初勝利だろ?」

と、言われました。

私はその時初めて、自分に勝ちがついたことに気が付きました。

気が付いたというよりは、恥ずかしい話ですが、

そこで初めて勝ちがつくことを学びました。

私のプロ野球人生の初勝利は、延長戦での城島選手の劇的なサヨナラホームランでした。

 

2010年3月27日 対 横浜ベイスターズ 4x-3

プロ初勝利

 

 

お立ち台

 

 

一塁側のラインの上に並び、

スタンドのファンに挨拶を済ませ、

ベンチに引き上げると、

サヨナラホームランを打った城島さんの次に、

「おめでとう!」

と、祝福をしてもらいました。

それだけでもふわふわ嬉しい気持ちに浸っていると、

ヒーローインタビューがあると告げられました。

皆に祝われ、有頂天になっていた私はそんな大仕事が待っていることを

すっかり忘れていました。

 

プロ野球選手になって間もないころ、

もし、ヒーローインタビューを受けたらこう言ってやろうと考えていたことがありました。

それは、学生時代にお世話になっていた整形外科の先生との約束事でした。

「お前がもしプロ野球選手になって、ヒーローインタビューをすることがあったら、『ファンの声援のおかげで抑えることができました』っていうんだぞ。絶対調子に乗ったことは言うなよ」

という約束でした。

 

私はその言葉を胸に、すっかり慣れた雰囲気の城島さんと共に、お立ち台に上がりました。

小さなころから応援していて、それこそヒーローインタビューを何度も見ていた選手と、

同じお立ち台に立ってインタビューを受けることになりました。

私は横で城島さんのインタビューを聞きながら、

投げているときには気付いていませんでしたが、ドームの観客席の奥行きや広さ、

それに埋め尽くされたファンの多さ、

そして城島さんの言葉。

そして、それに対してリアクションをするファンの大歓声に一人で興奮をしていました。

続いて私のインタビューの番になったのですが、

全く想定していたようにはいかず、途中頭も真っ白になり、

全くうまく喋ることができませんでした。

言いたいことを本番に持っていくことの危険さを学ぶこととなりました。

そして改めて、城島さんの偉大さと、

阪神ファンの心強さ、大きさを知ることとなりました。

 

その時の映像がこちらです。。

https://www.youtube.com/watch?v=QyATJcQPcB4

 

 

次回は、2010年の続きと、

皆さんがよく記憶してくださっている、

『外野、西村』

の話を書かせてもらおうと思います。

 

 

 

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