プロ野球生活 阪神タイガース アリゾナフォールリーグ
海外選手の自主性
日本の何倍もある広い道を、心地よい乾いた風の中、
リュックを背負って、歩いて球場に向かいます。
ただの通勤時の光景ですが、アリゾナの雰囲気は、それすらも気持ちのいい時間に感じさせてくれました。
私はいつも集合時間の1時間前には球場に入っていました。
ロッカーで着替えを済ませ、外野の芝生の上でストレッチをしたり、
トレーニング施設でウエイトトレーニングをしたりしていました。
ただただ外野をランニングするにも、空が広く感じて、とても気持ちがいいものでした。
トレーニング施設も、グラウンドも、ロッカーも雰囲気が好きで、ついついいつもより早く球場入りしていました。
私が振り分けられたチームである、スコッツデールスコーピオンズの練習は、ほとんどが自由でした。
練習前に集合がかかり、メニューを出されるのですが、簡単な連携プレーの練習だけで、
その他は、各自で考えて練習をするという感じでした。
各自に任せてもらえるという、日本のプロ野球でいうところの、
1軍の選手の扱いをされてるようで、嬉しくも感じていましたが、
違った環境で、どんな練習をするのか興味があったので、少し残念ではありました。
外人選手は、意外といったら失礼ですが、自分の課題に向き合い、しっかりと練習をしていました。
中には楽観的で、全くと言っていいほど練習をしない選手もいました。
どちらかというと、私のイメージでは海外の選手はあまり練習をしないと思っていました。
その中にも、意識の高い選手もいて、1時間前に球場に行っていた私よりも先に球場入りをして、
黙々とトレーニングをしている選手がいました。
私は海外の選手にはあまり詳しくはなく、まじめな選手もいるんだな、とだけ思っていました。
その選手は、キャッチャーをしていて、何度かバッテリーを組むこともありました。
とても研究熱心な選手でした。
私が使っていたグローブのオイルを自分のグローブに塗って、喜んでいる姿がとても印象的で、
日本の製品にも興味をもって、なんでも吸収しようとする姿勢も持っていました。
試合になれば、プレーはとても貪欲で、ピッチャーとのコミュニケーションもとても上手な選手でした。
その後、その選手は、メジャーリーグでワールドチャンピオンになるチームの正捕手になっていました。
そんな選手とバッテリーを組めたことはとてもいい経験だと思っています。
それに、
その選手を見て、やっぱり努力は嘘をつかないんだなと、再認識させてもらうことができました。
楽観的にやるタイプの選手と、まじめに貪欲にやるタイプの選手。
残した数字、結果がすべてと言われる世界なので、どちらが正解とは言えませんが、
やはり野球に向き合う時間が長い選手は、
結果的に、その時間に比例して、長く成績を残していけるんだということも学ぶことになりました。
ハングリー精神
これはある日の試合の時の話です。
私はリリーフピッチャーで登録されていたので、
試合中、基本的にはブルペンに待機していました。
その試合では登板の予定がなかったので、ベンチで試合を見ていました。
ベンチの雰囲気はいつも待機しているブルペンの雰囲気とは違い、
投手と野手の雰囲気の違いを感じて楽しんでいました。
ワンプレーワンプレーにリアクションしていて、見ていてとても楽しく、
いいプレー、ヒットが出た時は皆と盛り上がっていました。
そんな中、ランナーもいない、なんでもない場面で一人の選手が打席に入りました。
その選手は普段ロッカーでも、グラウンドでもよく話をする明るく気さくな選手でした。
普段仲の良い選手だったので、特に注目して見ていました。
その選手は、残念ながら、ショートゴロを打ってしまいました。
なんでもないショート正面のゴロでした。
しかし、その選手は全力で1塁に走り、ヘッドスライディングをして、
ギリギリでアウトになりました。
全力プレーという言葉をよく聞きますが、
これが本当の全力プレーだと思いました。
1塁に走っているときの息使いが、ベンチまで聞こえてくるほどの全力疾走でした。
私からすると、ただのショートゴロで、見慣れたなんでもない1つのプレーでした。
しかしその全力疾走を見た時に、
自分自身のワンプレーに対する気持ちの熱量の差を、その時に痛感させられました。
必死にプレーする姿は、心打たれ、強く印象に残るものなんだなと思いました。
プロ野球選手になり、今まで試合を見に行っていた立場から、
見てもらう立場になり、
私も、見に来てくれた人たちに、こんな感動を与えられるようなプレーをしようと思えた瞬間でした。
海外のボール
中継ぎとして待機をしていた私ですが、
初めて登板をしたときは、ほぼ不安な気持ちしかありませんでした。
それまでの野球人生で、マウンドに上がることで不安になることが少なかった私にとっては、
珍しい精神状態だったことを覚えています。
その理由は、『ボール』の違いでした。
もちろんアメリカに来る前から、そのことは頭に入っていました。
しかし、実際にその海外のボールを握った時に、一気に不安になりました。
簡単に説明すると、大きくて滑る。
という印象でした。
もともとそんなに手が大きくない私にとっても、このボールは、より一層大きく感じました。
それに加え、日本のボールに比べ、縫い目も低く、皮も滑るため、
ボールのキレで今まで勝負してきた私の生命線でもある、
強くボールにスピンを伝えることが大きな課題となってしまっていました。
キャッチボールをしていても、慣れるまでは、指にかかるまでもなく、
どこかにすっぽ抜けていくんじゃないかと不安になるほどでした。
そしてそれまで気持ちよく感じていた、アリゾナの乾いた空気も、
ボールの滑りを後押しして、恨めしく感じ始めていました。
しかし、こんなボールにもいいところもありました。
それは、変化球がよく曲がってくれることです。
ボールが大きくて空気抵抗が大きいのか、縫い目が歪(いびつ)なことがよかったのか、
正確な理由は分かりませんが、とにかくよく曲がってくれました。
本場の変化球
日本の野球少年のピッチャーたちはその当時、
ストレートの次に教わる球種と言えば、
『カーブ』でした。
私もストレートの次にはカーブを覚え、投げていました。
しかしアメリカの野球少年たちは、
ストレートの次に教わる変化球は『チェンジアップ』でした。
私はその時の持ち球で、チェンジアップは持っていませんでした。
私はこのアリゾナ派遣のうちにぜひとも本場アメリカのチェンジアップを学びたいと思っていました。
たくさんの選手に握り方や投げ方を聞きに行きました。
握り方も投げ方も人それぞれで、自分に合うものを探していきました。
前文で話したように、変化球はよく曲がってくれたので、
そのおかげもあり、チェンジアップの練習はイメージが湧きやすく、
遊びで投げているうちに、試合でも使えるレベルまでもっていくことができました。
昨日は昨日、今日は今日
覚えたてのチェンジアップを引っさげて、
登板させてもらったある日の試合のことです。
私はその試合で初めて、ホームランを打たれてしまいました。
その時のことは今でも鮮明に覚えているのですが、
相手は名前も知らない右バッターでした。
そのバッターは私の外角低めの少しボール球のストレートに手を出してきました。
私の中で、外角低めのストレートというのは安全地帯のようなもので、
痛打されないという安心感のある,そして自信のある球でした。
そのバッターは少し振り遅れてその球をライトに打ち上げました。
私は平凡なライトフライ、もしくはライトのファールフライくらいだと思っていました。
しかし打球はなかなか落ちてこず、
そのままフェンスを越え、ホームランになってしまいました。
外人選手のパワーに対する驚きと、自信のあった球をホームランにされたショックで胸がドキドキしていました。
その試合で、登板したピッチャーの中に、
とても仲良くしていた外人選手がいました。
その選手はとても親切で、ナイター終わりの帰り道も、
いつも歩いて帰っている私を、誰かに言われるでもなく、
わざわざ送ってくれることもありました。
グラウンドでもよく話をして、いろんなことを教えてくれました。
その選手はその日の試合、残念なことに、
大量失点をしてしまいました。
普段からよく話すこともあったので、試合後、
日本式ではありますが、私なりに励ましに行きました。
その選手は返事はしてくれたものの、ひどく落ち込んでいるように見えました。
そして次の日、
私自身も前日ホームランを打たれていたので、あまり気分のいいものではありませんでしたが、
いつもより重い足取りでグラウンドに向かい、
ロッカーで着替えをしていると、前日大量失点をしたその選手がきました。
私は少し気を使いながら挨拶をすると、驚くほどのハイテンションで挨拶が返ってきました。
びっくりしたのと同時に、落ち込んでいなくてよかったと、少し安心しました。
だけど少し気になって練習中にその選手のところに行き、失礼なことは承知の上で聞いてみることにしました。
「昨日打たれたのに、なんでそんなに元気なんだ?」
するとその選手は、
「today is a new day!!」
と笑って私に言ってきました。
何と前向きで、いい言葉なんだろうと思いました。
直訳すると、「今日は新たな一日」
昨日のことは昨日のこと。
今日はまた新たな一日の始まりだ。
前日にホームランを打たれて、くよくよして、周りの目が気になっていた自分自身がとても小さく感じました。
まとめ
このアリゾナ派遣が終わり、
帰国した私に、記者の人たちが取材をしてくれました。
「この派遣で学んだことはありましたか?」
私はたくさんのことを学びましたが、記事が書きやすいであろう『チェンジアップ』のことだけを話しました。
案の定、次の日の新聞には『西村、武者修行で、新球チェンジアップ』
という記事が出ていました。
しかしその後、私が手応えを感じていたのは、実はストレートのほうでした。
ほんの数日間ではありますが、大きくて滑る海外のボールで慣れ始めていたせいか、
日本のボールがとても投げやすく感じました。
そしてこの派遣の次の年、私は1軍で65試合登板させてもらうことになります。
この派遣がすべてとは限りませんが、
ハングリー精神、球種、努力、パワー、前向きなメンタル。
と、たくさん学ぶこともできましたし、
次の年の、原動力になったことは間違いありません。
そして今でも、自身の経験として、後輩たちに伝えることができています。
派遣選手を私に選んでくれた阪神球団には、今でも感謝しかありません。
この場を借りてお礼申し上げたいと思います。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
【阪神タイガース時代】
プロ野球選手生活 阪神タイガース フレッシュオールスター アリゾナフォールリーグ
ディスカッション
コメント一覧
まだ、コメントがありません