プロ野球生活 阪神タイガース 1軍昇格 初登板
1軍昇格
2軍戦でクローザーをやらせてもらっていた私は、とにかく毎日必死でした。
先発投手が作った試合を壊すわけにはいけないし、
同じリリーフ陣にも、先輩なんかがいる中、
新人の自分が任せられているこのポジションも奪われたくありませんでした。
毎日毎日本当に必死で投げていました。
1イニングたったの3アウト。
しかし、こんなにも1つのアウトの重みを感じたことはありませんでした。
ランナーを出したしただけでも、劣勢に立たされたような感覚になりました。
少しでも隙を見せると、相手ベンチからはそこばかりを攻められ、
少しも気を抜けるところなんてありませんでした。
1球1球に魂を込めて、細心の注意を払いながらピッチングをしたことはこれまでにないくらいでした。
そのおかげもあり、この年、自分でもわかるほど、ピッチングの内容がよくなっていきました。
新人の私を起用していただいた当時の監督、ピッチングコーチ、そして、
計画的に私のトレーニングをみてくれていたトレーニングコーチ。
皆さんに本当に感謝しています。
1日1日必死でチームに貢献しようと食らいついているころ、
1軍では前半戦が終わろうとしていました。
交流戦も始まり、テレビでは相変わらず1軍の選手たちが、華やかに輝いていました。
いつかは自分も、、と思いながらも、その時は2軍でしっかり自分の仕事をクリアしていくことのほうで頭がいっぱいでした。
そんな毎日を過ごしていた、確か6月の頭ごろ、
試合が終わり、私は、監督室に呼ばれました。
中に入ると、監督とマネージャーの方がいました。
そして、
「憲、明日から『上』に行ってこい。頑張ってこいよ」
と言われ、
マネージャーの方にも、
「よかったな。頑張れよ!」
と言われました。
その時の、胸の高鳴りはいまだに忘れられません。
照れながらも、強がり、その瞬間は平然な人間を必死に演じていましたが、
自分の部屋に戻った時は体の震えが止まりませんでした。
こんなにも大きな武者震いを経験したのはこの時が初めてでした。
1軍と2軍
1軍に昇格した私は、
生活リズムも変化にも対応していおかなければなりませんでした。
1軍は2軍と違い、試合にほとんどが、ナイターゲームです。
これまで早起きをして、朝から練習をしていた生活とは一変、
昼過ぎから練習を開始し、夕食をとった後に、試合が始まります。
と言っても、私が2軍で過ごしているころに、
同じ寮生で1軍だった選手が、昼頃に甲子園球場に向かう姿を見ていて、
心から羨ましいと思っていたので、
自分自身がその立場にいることの、特別感というか、優越感のようなもので、
何一つ苦ではありませんでした。
1軍選手
1軍昇格をきっかけに、関わる人もすべて1軍の人に変わっていきました。
連絡を受けるのも、1軍のマネージャーに変わり、
生活も一変、別世界でした。
昇格初日は、少し早めに甲子園球場に向かいました。
1軍の選手、スタッフ、首脳陣一人一人に挨拶をしに行かなければいけなかったからです。
早めに着いた私は、ロッカールームに荷物を置きに行きました。
2軍とは全く違う豪華なロッカールームの一つに私の名前が張ってあり、
綺麗な交流戦用のユニフォームが置いてありました。
豪華で、持て余すほど大きなロッカー。
そしてふかふかの椅子。
その椅子に腰かけ、周りを見渡すと、
見るだけで、オーラを感じるほどの有名選手の名前が書かれてあるロッカーが並び、
そんな選手たちは、その持て余すほど大きなロッカーを、
パンパンに自分の荷物で使いこなし、
1軍で長年戦っていることを物語っていて、
そのロッカーにも感動し、
いつかはこのロッカーを自分の荷物でパンパンにするんだ!
と、幼稚な目標までも作っていました。
そんなことを考えていると、続々と選手たちがやってきました。
そんな選手たちに挨拶をしに行くたびに、
本当にこんな選手たちと一緒に同じグラウンドで野球をするのかと、
改めて身が引き締まる思いでした。
圧倒的な球場『甲子園球場』
一通り挨拶も終え、
1軍の選手たちがいつものルーティンをこなしている姿を横目に、
練習が始まるまでの、どうしてていいかわからない時間をいつもより長めのストレッチで過ごし、
周りの選手の真似をしながら、ユニフォームに着替え、
一人で行けば迷子になりそうな長い通路を先輩たちについていきながら球場に向かいました。
その途中、甲子園のブルペンを通っていくのですが、
心の中で「これからよろしくお願いします」と挨拶をしました。
そして、ブルペンを抜け、扉を開けると、一気に視界が明るくなり、
テレビでよく見る、リリーフカーが停まっていて、
ライトスタンドと内野席の間から球場に出ていきます。
球場に入った時、小さいころに初めて当時の福岡ドーム(現ヤフオクドーム)に
連れて行ってもらった時の記憶が蘇り、
その場の空気が、日常から、非日常に変わるような感覚に飲み込まれそうになりました。
キレイに整われている外野の芝。
球場全体に響き渡る、スピーカーから流れる音楽。
野球場とは思えないくらい、美味しそうな匂いが混ざった独特な匂い。
球場中埋め尽くされた企業さんの看板やプリント。
非日常な空間の中に、不自然にさえ感じる当たり前のマウンドやベース。
こんなところでプレーするのかと、観客のいない、ましてや対戦相手もいない状況で、
すでに圧倒されていました。
野球の聖地『甲子園球場』にプロとして足を踏み入れた瞬間でした。
初登板
2009年6月8日
私は阪神タイガースの一員として初めて1軍の試合で登板しました。
対戦チームは、交流戦の時期ということもあり、
なんと、私が小さいときに憧れ、メガホンを振り回し、応援していた球団。
『福岡ソフトバンクホークス』
でした。
その日も昼過ぎに甲子園球場に行き、
今だ慣れぬ環境にきょろきょろしながら、
ある程度決めていた自分なりのルーティンで練習までの時間を過ごし、
贅沢なまでに綺麗な球場で練習をし、夕食をとり、
すぐに試合用のユニフォームに着替え、
プレイボールがかかる前にブルペンに行き、スタンバイという名の、
登板機会がなかなか来ない私は、ほぼほぼブルペンでの雑務をしに行っていました。
それでも、1軍にいるという現実だけで充実感を感じていました。
2軍にいる頃、寮で夕食をとりながら観戦していた試合を、
当事者として、ブルペンで見ながら、簡易的なスコアを書き、
対戦チームのバッターの研究をしながら、いつ自分の出番が来るのかとそわそわしていました。
リーグ戦を戦っていくので、リリーフ陣にもある程度それぞれ仕事があり、
勝っているときに投げる選手、いわゆる『勝ちパターン』と
負けている試合で投げる『敗戦処理』
新人で、初の1軍昇格をしている私は、敗戦処理の中でも1番最後の選手でした。
試合展開を見ながら、誰が登板するかをある程度予測して、準備をし、登板に備えます。
まだわからない私は、ブルペンにいる投手コーチの方の指示で体を動かしたり休んだりしていました。
リリーフ投手が登板するときにはベンチから内線の電話がかかってきます。
その音が鳴るたび、自分の番じゃないとわかっていても、ドキッとしていました。
その日の試合は、先発投手が試合中盤につかまり、大きな点差を追いかける展開でした。
なかなか得点が取れずズルズルと試合は進んでいきました。
試合の終盤にも追加点を許し、いよいよ逆転も厳しい展開になっていました。
ブルペンの雰囲気も決して良くはありませんでした。
しかし、新人である私の登板の可能性が出てきていたことで、
負けている雰囲気とは別に、ブルペンが少しだけ明るくなりました。
そして、投手コーチの方からも、
出番が来るぞ。と準備するように促され、
その時が来ました。
ブルペンに内線の電話が鳴り響き、
電話を受けとったコーチが電話を切り、
「西村、いくぞ!頑張れー!」
その声を聞いた時、私のアドレナリンはMAXになっていました。
いつもは肩慣らし程度で投げるブルペンでの投球練習なのですが、この時ばかりは自然と力いっぱい投げていました。
そして、いつもは私がしている手伝いを先輩にしてもらい、
攻撃が終わり、攻守がチェンジしたことを告げられました。
私は、先輩から水とタオルを受けとり、
力水を一口飲み、汗を拭きとり、
ブルペンの方たちの温かい声援を背中に受けながら、
リリーフカーに乗り込みました。
次回に続きます。
阪神タイガース その1プロ野球選手になってからの生活 阪神タイガース
阪神タイガース その2プロ野球生活 阪神タイガース シーズン開幕
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