プロ野球選手生活 阪神タイガース フレッシュオールスター アリゾナフォールリーグ

夏のお祭りといえば『オールスターゲーム』

 

 

1軍での初登板も経験させてもらい、

二軍で必死に毎日を過ごしていたころ、

若手選手たちの登竜門とも言われている、

フレッシュオールスターゲームに選出していただくことになりました。

学生時代テレビにかじりついて見ていたオールスターゲーム。

各球団で活躍しているスター選手たちの混合チームの対戦で、

プロの選手たちが普段は見せないようなプレーを華やかに見せてくれます。

私は夏祭りのような気持ちで、そのプレーの一つ一つを見ていました。

フレッシュとはいえ、そんな気持ちで見ていたオールスターに選ばれたことに心から嬉しく思いました。

私が出場した年のフレッシュオールスターは、札幌ドームで行われました。

出場メンバーを見てみると、私がいたウエスタンリーグでも好成績を残していた選手だったり、

イースタンリーグでも、鳴り物入りでプロ入りしてきた選手たちが名を連ねていました。

 

 

フレッシュオールスター

 

 

当日は飛行機で札幌に移動をし、札幌ドームに向かい、

そのままその日に試合というスケジュールでした。

札幌ドームにつくとすぐに持参したユニホームに着替え、各自でウォーミングアップを開始しました。

初めて入った札幌ドームは外野フェンスも高く、とても広く感じました。

私は外野に寝っ転がり、球場の雰囲気を体全体で感じていました。

ウォーミングアップも終わり、ベンチに戻ると、

試合のスターティングメンバーと、ピッチャーの投げる順番が発表されました。

私の順番は、一番最後でした。

その当時、2軍の試合でも、クローザーを任せてもらっていましたが、

選抜メンバーでもあるオールスターでも、試合の最後を任されたことに、

各チームの監督さんに認められた気がして、とても嬉しく、

そして、おそらく私を推薦してくれたであろう当時の阪神の2軍監督に、心から恩を感じました。

 

ばらばらのユニホームを着た選手たちがグラウンドに飛び出していき、試合が始まりました。

私はベンチから試合を眺めて自分の出番が来るまで、

普段見ることのできないイースタンリーグのチームのプレーを見ながら、自チームの応援をしていました。

ウエスタンリーグは中盤に失点をしてしまい、できる事なら勝っている場面でゲームを締めくくりたい気持ちはありましたが、

応援むなしく、負けている場面で出番が回ってきました。

私はブルペンから体がキレていて、いざマウンドで投球練習をしたときには、

アドレナリンがマックスの状態でした。

甲子園の初登板の時よりかは、少し落ち着いていたような気がします。

結果としては、イースタンリーグの3番からの上位打線を、

三振、三振、サードゴロエラー、三振。

と、結果的にアウトすべては三振に取ることができました。

ピッチング内容というよりは、元気だけで抑えたような感じでした。

そして試合はそのままイースタンリーグが逃げ切り、負けてしまいました。

お祭り事とはいえ負けたことに悔しく思っていると、

スタッフの人に声を掛けられ、

なんと、『優秀選手賞』をいただくことになりました。

まさか自分が、という驚きと、実力以上のものを出させてくれた当時の監督やスタッフの方たちには、今でもとても感謝しています。

心地の良い緊張感の中プレーできた経験と、優秀選手賞をいただいた自信はその後の私に大きな影響を与えることとなりました。

本当にありがたく思っています。

 

 

 

※この時の動画はこちらです

YouTubeで私自身もよく見ている動画なのでお借りしてきました。

 

 

アリゾナフォールリーグ

 

 

1年間必死にしがみついて戦ってきたシーズンが終えたころ、

私は私なりに自らの成長を実感していました。

成長というよりは、1年目にしては充実したシーズンだったという達成感みたいなものでした。

シーズンが始まる前に1番不安だった、1年間大きなけがもなく戦えた事。

たった6試合ですが、1軍の試合に登板できたこと。

フレッシュオールスターに選んでもらい、優秀選手賞をいただいたこと。

2軍戦では、チーム最多の試合数に登板させてもらえたこと。

そして、ピッチング自体も全体的にレベルアップできたこと。

とても濃いシーズンでした。

シーズンも終わり、チームは、宮崎県で行われる、これも、若手のリーグ戦である、

フェニックスリーグに行くことになっていました。

私もそのリーグ戦に行くと思っていたのですが、

ある日、マネージャーさんに呼ばれ、

「アメリカのアリゾナである、フォールリーグに参加することになった」

と言われました。

当時、ハワイや台湾で行われる、ウィンターリーグのことは選手の間でも話になっていたので、

知ってはいましたが、

アリゾナフォールリーグというのは初耳だったし、まさか自分が参加するとも思っていなかったので、

とても驚きました。

しかし、私を選んでくれたことにとても嬉しく思いました。

その期待に応えなきゃいけないなという思いを持ちながら、荷造りを開始しました。

 

アリゾナ出発

 

 

私自身海外に行くことは、大学時代に台湾に野球の試合で招待された時以来で、

いきなりのアメリカだったので、楽しみな気持ちもありましたが、気持ちのほとんどが不安でした。

他球団の選手数名と一緒に行くことになっていましたが、阪神からは私一人でした。

前日の夜、前の年にハワイのウィンターリーグを経験した選手を寮の部屋に呼び、

夜遅くまで話をしました。

その日の夜はあまり寝ることができませんでした。

当日、関西の空港からまずは成田空港に飛びます。

そして、そこで他球団の選手とトレーナーさんと合流し、

10時間ほどかけてロサンゼルスの空港に向かいました。

そのあとまた飛行機を乗り換え、ようやくアリゾナ州のフェニックス空港に到着しました。

目が回るような移動に、頭がくらくらしていました。

しかし到着したアリゾナ州フェニックスは天気も良く、空気もカラッとしていて、

移動の疲れも吹っ飛ぶほどの気持ちよさでした。

何より目に入ってくるものすべてが新鮮で、その頃には出発前の不安は一切なく、

早く球場を見てみたい、早く野球がしたい、どんな環境で、どんな選手がいるのかな、と

ワクワクでいっぱいでした。

ホテルに到着し、トレーナーさんに連れられて夕食に出かけました。

そこで、いろんな説明や文化の違いやこっちでの過ごし方なんかを、聞きながら、

挨拶を交えた食事会をしていただきました。

 

肌で感じる『自由の国』

 

 

アリゾナフォールリーグとは、アメリカメジャーリーグのAAA、AA、Aの選手たちや、新人選手たち数名が

合わさった合同チームを作り、そのチーム同士でリーグ戦をしていくというようなものでした。

私のチームは、スコッツデール・スコーピオンズというチームで、

サンフランシスコジャイアンツの球場でもある、スコッツデールスタジアムがホームグラウンドとなりました。

スコーピオンズは、フィラデルフィア・フィリーズ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、ピッツバーグ・パイレーツ、アリゾナ・ダイアモンドバックス、の4チームからなる合同チームでした。

そこに私と数名の選手は配属されることになりました。

日本からきた私を含めた選手数名は半分に分けられ、半分は違うチームで戦うこととなりました。

フォールリーグが始まるまでの数日は、合同チームでの練習期間でした。

 

ホテルから球場はそれほど遠くもなく、日本人選手と毎日歩いて球場に向かいました。

その道中もとにかく新鮮で、何もかもがとにかく壮大なアリゾナの雰囲気は、

とても魅力的に感じました。

球場につくと各自準備をしてウォーミングアップを始めます。

とてもきれいな天然芝で、開放感のある球場でした。

各球団のユニフォームに、チームで統一された帽子をかぶって行うというスタイルでした。

初めて生で見るメジャーリーグのユニフォームに興奮しながら練習を開始していきました。

次回はアリゾナフォールリーグで学んだこと、感じたこと等を書いていきます。