現役続行を希望 トライアウト 独立リーグ 石川ミリオンスターズ

2021年3月14日

現役続行

 

 

2014年10月

阪神タイガースから戦力外通告を受けました。

その時に言われたことが、

「いい時のボールが戻ってこない」

でした。

確かに、その通りでした。

私は、手術をしてから一度も、自分自身の納得のいく球は投げれていませんでした。

その中でも試行錯誤をし、バッターを抑える術を追い求め、磨いていました。

しかし、いくら2軍の試合で抑えて、数字を残しても、

1軍に呼ばれることはありませんでした。

その当時は、悔しくてたまりませんでした。

何度も心が折れそうになりました。

思い切って、サイドスローにしようか。とまで考えていました。

この世界で活躍するため、

この世界で生きていくため、

この世界に生き残るため、

そのために必死でした。

しかし最後の年は、結果を残すどころか、1軍に上がることすらできませんでした。

 

戦力外を言われた日、

「来期は契約を結ばない」

など、一通りの連絡事項を終えた後、

「投げさせすぎて、すまなかったな」

と言われました。

私は、言葉に詰まり、

「いえ、、自分が弱いだけです。すみません」

としか、答えることしかできませんでしたが、

本当は、

『投げさせてもらえたことは本当に幸せでした。

自分を起用していただいて、ありがとうございます』

という気持ちでした。

もっと体が強ければ、

もっとトレーニングして鍛えておけば、

もっと賢ければ、

色んな後悔が頭の中にありました。

球団は最後に、球団スタッフでの仕事のお話をしていただきました。

とてもありがたいことでした。

だけど、野球に対してやり切ったと思えない私は、

現役続行を希望し、トライアウトを受けることを伝えました。

最後までお世話してくれた球団には、本当に心から感謝しています。

 

 

トライアウト

 

 

その年のトライアウトは2回行われました。

1回目は、静岡県『草薙球場』

2回目は、神奈川県『読売ジャイアンツ球場』

で行われました。

当日までの練習は、

タイガースの2軍球場である、鳴尾浜グラウンドを貸していただきました。

メイングラウンドでは通常通り練習が行われてる中、

外野ネットの裏でランニングをしたり、

選手たちが来る前の早朝に体を動かしたりして、コンディショニングをしていました。

当然、気まずさもあり、居心地はいいものではありませんでしたが、

練習する場所を貸してくださり、とてもありがたかったです。

 

1回目のトライアウトは先ほども書いた、

静岡県にある草薙球場で行われました。

自分で行き帰りの電車のチケットと、ホテルをとり、静岡県に向かいました。

今まで遠征なんかで当たり前に乗っていた新幹線や、当たり前に宿泊していたホテルは、

球団スタッフがこうやって予約をとってくれていたんだなと、

改めてそのありがたみを感じました。

 

トライアウト、前日の夜、

なるべく当日に体が重たくならないように

一人で近くにあるうどん屋さんを探し、

軽めの夕食を済ませて、ホテルで最後のセルフケアをしていました。

いつもより早く布団に入ったのですが、なかなか寝付くことができず、

トライアウトに参加している野手の名前を調べ、

その選手がプレーしている動画を、YouTubeで見て研究していました。

そして、いろんな願いを込めて、

ボールを握りしめて寝ました。

 

そして当日、

球場入りをし、ロッカーに向かいました。

ロッカーの入り口のドアには、スケジュールと各投手の投げる順番、そして、対戦相手が書かれていました。

そこで初めて対戦相手を知ることになります。

着替えを済ませ、いつものルーティンでもありますが、球場のマウンドの確認を済ませ、

そして、少し早めにウォーミングアップをしていました。

ゆっくりロッカーに座っていてもよかったのですが、

ロッカーの雰囲気が、個人的にあまり好きではありませんでした。

初めて会う選手もいれば、顔見知り同士で話をしている選手もいたと思います。

その会話の内容が、

「全然練習してないよー」

「ぶっつけ本番やー」

などと、聞いていられるものじゃありませんでした。

アップをしに行くというか、ロッカーの雰囲気から逃げ出したような感じでした。

しかし、次はあまりにも早くにアップを始めると、

スカウトの方に、たくさんアップをしないと投げれないのかとか、

どこか体に不安な要素があるのかと、

勘ぐられるんではないかと、

正直、過ごし方の正解が見つからずにいました。

 

そうこうしているうちに集合がかかり、トライアウトの流れや説明を受けました。

まず野手がノックを行い、その後にシート打撃を行うという流れでした。

シート打撃はカウント1-1から、打者4人との対戦でした。

私の成績は、打者4人をノーヒットに抑えました。

自分自身、納得のいく球はその時も投げられませんでしたが、

結果は残せたので、淡い期待を胸に球場を後にしました。

 

 

 

クビを宣告された男たち

 

 

野球関係者や野球好きなら一度は目にしたことがあると思うのですが、

オフシーズンに、戦力外になった選手に密着したテレビがあります。

その中で、電話を片時も離さず、球団関係者からの吉報を待つシーン。

私はプロ野球選手になってから、この番組は気分的にあまり好きではありませんでした。

自分自身にもいずれ来るであろうこの時が、

この先待っていると思うと、

見ていてとても辛い気持ちになるからでした。

しかし、この時の私は、まさにその時テレビに出ていた人たちのように、

携帯電話を肌身離さず握りしめ、着信音量を最大にして、連絡が来るのを待っていました。

 

 

一本の電話

 

 

トライアウトも終わり、

数日たったころ、一本の連絡がありました。

それはプロ野球の球団からではなく、

独立リーグからのお話でした。

その方は、静岡で行われたトライアウトが終わってすぐに、

記者の方を通じて、すでに話をしていただいていました。

しかし、私の頭の中はプロ野球でしか考えていなかったので、

プロ野球関係者から、連絡が可能な期日まで待ってもらうことにしました。

そして、私の願いは届くことなく、

その期日までにプロ野球関係者からの連絡はありませんでした。

プロ野球で野球をプレーすることが叶わなくなった私は、

胸に大きな穴が開いたような感覚でした。

とても大きな喪失感と虚しさがありました。

そんな私に独立リーグからの誘いは、ありがたいことではありましたが、

落ち込んでいる私は、とても悩みました。

この落ち込んだ状態から立ち直ることができるのか。

それに、正直にいうと、野球のレベルが落ちることで、

野球をやるモチベーションが保てるのか不安でした。

それに加え、実の兄が独立リーガーだったこともあり、

独立リーグの厳しさや、大変さも知っていたからでした。

 

 

野球がしたい

 

 

数多くの不安があり、たくさん悩みましたが、

その気持ちを遥かに超える、

「野球をしたい」

という気持ちが私の中にありました。

まだやり切ったと思えず、

阪神球団からのお仕事のオファーも断ってまで、

現役続行を希望した私の心の奥底にある気持ちは、変わることはありませんでした。

そして、その時私の原動力になった最大の理由は、

独立リーグからプロ野球に戻れるチャンスがある。ということでした。

私は、野球を続けさせてもらえるチャンスをくれた独立リーグに行き、

必ずもう一度プロ野球に戻ってくる。

そんな思いで、返事の連絡をしました。

想像していた通り、厳しい環境であることを電話で伝えられました。

しかし私は、それ以上の覚悟があったので、

その時には一切の迷いはありませんでした。

私は、石川県の独立チーム

『石川ミリオンスターズ』

にお世話になることとなりました。

 

 

雪国、石川

 

 

雪がちらつく中、

私はスーツを着て球団事務所に向かいました。

そこは石川県にある、小さなバッティングセンターでした。

バッティングセンターの中にある小部屋に事務所がありました。

私は、中に招かれ、挨拶と、契約の説明を受けました。

その後は、その日も練習しているとのことだったので、

練習場に行って、練習を見学させてもらうことにしました。

球場について、やけに暗い選手通路を抜けると、

ベンチのドアから光が差し込んでいました。

緊張の中、グラウンドを覗くと、

全面に雪が積もった、白銀のグラウンドの中、

選手たちはウォーミングアップをしていました。

初めて目の当たりにした光景に、

私は、とんでもないところに来てしまったのではないかと、

その場に立ち尽くしてしまいました。

 

 

次回

今回も決して明るい話ではありませんでしたが、

最後まで読んでいただき、

ありがとうございました。

 

次回からは、

プロ野球の世界にカムバックするために奮闘する独立リーグでの生活、

独立リーグとはどのようなところか、

石川ミリオンスターズでの話。

経験したこと、

出会った人、

感じたこと、

すべてを書いていきたいと思います。

これからもよろしくお願いします。

 

 

【阪神タイガース時代】

プロ野球選手になってからの生活 阪神タイガース

プロ野球生活 阪神タイガース シーズン開幕

プロ野球生活 阪神タイガース 1軍昇格 初登板

プロ野球選手生活 阪神タイガース 初登板 日本一のファン

プロ野球選手生活 阪神タイガース フレッシュオールスター アリゾナフォールリーグ

プロ野球生活 阪神タイガース アリゾナフォールリーグ

プロ野球選手生活 初勝利 初のお立ち台 1軍生活

プロ野球生活 2010年 65試合登板+1 外野手西村

野球人生を変えた肘の怪我 肘の手術 狂い出す歯車

手術後のリハビリ生活 もどかしい日々 そして近づく終わりの時