プロ野球選手生活 阪神タイガース 初登板 日本一のファン

初登板

 

 

ミットの音しか聞こえない静寂のブルペンから、重たい扉を開け、外へ出ると、

一気に大勢の観客の声が聞こえてきます。

練習に行く時に何度も通っていた通路が、まるで違う道のようでした。

扉を出ると、練習の時に感じた何倍もの球場独特の香りが私を包み込みました。

薄暗い通路の先には、リリーフカーが停まっていて、

運転手の女性が、私が乗り込むのを待っていました。

リリーフカーに乗り込むと、スタンドの間からナイター照明が差し込み、

甲子園特有のカクテル光線を浴びました。

その明かりを見上げると、スタンドからのぞき込むたくさんのファンの顔が並んでいました。

「誰?誰?」

「43番や!」

「西村や!」

「西村?誰?」

「新人の西村や!」

「初登板や!」

たくさんの会話が聞こえてきました。

私はこの時の気持ちを今でもはっきりと覚えています。

『関西やなー(笑)』

と思いました。

正直もっと緊張なんかをするものだと思っていたのですが、

とんでもない別世界に飛び出した瞬間に、ファンの日常会話が聞こえてきたおかげか、

興奮して高ぶっていた私は、平静を取り戻し、肩の力が抜けた感じがしました。

次に登板するピッチャーが新人の私と分かったファンからは、

「西村ーー!」

「いけーー!がんばれーー!」

「がんばれよーーー!」

と、本当にたくさんのあたたかい声援をもらいました。

 

 

そして、

『ピッチャー西村』とアナウンスされ、リリーフカーがゆっくりと進みだしました。

リリーフカーが球場に入った瞬間、

さっきスタンドの隙間でもらった歓声の何倍もの歓声を受けました。

チームは大差をつけられ、負けている状況にも関わらず、

本当にたくさんの大きな歓声を受けました。

甲子園の風を受けながら進むリリーフカー。

視界に飛び込む数万人のファン。

球場を照らすカクテル光線。

聞いたこともないたくさんのファンのざわめき。

無数のメガホンの音。

そんな中リリーフカーは私をセカンドの後方まで運んでくれました。

そこでリリーフカーを降り、

ピッチングコーチとキャッチャーの待つマウンドに走っていきました。

これから初登板という状況なのですが、

私は少し照れてもいた記憶があります。

なんせ、こんな歓声を受けたのは生まれて初めてで、

緊張とかよりも何倍もの嬉しさが勝っていたからかもしれません。

 

 

ピッチングコーチからボールを受けとり、キャッチャーとサインの確認を終え、

投球練習を始めました。

初めて甲子園球場のマウンドに立った時、

球場自体が浮いているような不思議な感覚がしました。

とにかく、自分が立っている位置がとても高く感じたことを覚えています。

そしてもう1つとても印象的だったのが、

ファンの騒めきです。

当然のことなんですが、テニスやゴルフのように、

黙って試合を見ないといけない決まりなんてありませんが、

数万人もの会話が一斉に聞こえると、こんなにも騒がしいんだなと思いました。

「騒がしいなー。みんな試合見ているのかなー」とも思っていました。

試合が始まると、そんな考えは大間違いだったことに気付かされました。

投球練習では、いつも以上に体が軽く、アドレナリンが出ていることを実感できるほどでした。

そして、ピッチングコーチの方に、「頑張れよ」とひと声かけてもらい、

いよいよ私のプロ野球選手としての第一歩が始まろうとしていました。

 

 

初登板の相手はソフトバンクホークス

 

 

以前書かせてもらいましたが、私がプロ野球選手として初めて登板した対戦相手チームは、

私が小さいときに、親に連れて行ってもらい必死にメガホンを振りながら応援していた、

福岡の地元球団、『ソフトバンクホークス』でした。

初めて試合を観戦したときから、憧れ、幼心にも入団を夢見た球団でした。

大学時代にも、チームメイトと少ない小遣いの中からチケットを購入し、

応援をしに行ったり、時には、

授業の合間に自転車をかっ飛ばして、2軍球場に見に行っていた、

とても思い入れのある球団でもありました。

マウンドから、相手ベンチを見ると、

その憧れていたチームの選手たちがずらりと並んでいました。

これから、初登板なのですが、

ものすごい選手の中に不自然に私の名前が書かれてあるスコアボード。

見たこともないような大勢の阪神ファン。

対戦チームのベンチには、つい最近まで応援していた『有名人』

その時は、すべてを目に焼き付けようとしていました。

 

 

2009年6月8日

そして初登板の6月8日。

この日は、小さな頃から、プロ野球選手を夢見て、

近所の公園や、田んぼ。

自宅の庭や、家の中でも、

いつも一緒になって練習をしていた兄の誕生日でもありました。

背中を追いかけて、私の中のヒーローだった兄の誕生日だったこともあり、

いつもとは違った力がこの日は出せたような気もします。

 

 

初登板の内容としては、

事細かくは覚えてはいませんが、

結果的に、3人の打者で抑えることができました。

下位打線だったこともあり、2人目の打者はピッチャーだったので、

多少気持ちに余裕ができていました。

しかしながら、ネクストバッターで準備をしている選手なんかを見て、

「このバッターを出せば、あの選手と対戦できるぞ」と、変な欲求も出てしまい、

わざとフォアボールを出そうかななんて、『ピッチャー失格』な自分と一瞬だけ戦っていた記憶もあります。

とにかくこの時は、ただただ思い切り腕を振り、

あっという間に終わってしまったという印象でした。

ただ、私が投げる1球1球に歓声が上がり、

アウトをとれば大歓声。

野球人として、ピッチャーとして、

とても幸せな時間でした。

この時、私が感じた感覚や記憶は一生忘れることはないと思います。

夢が実現し、

半ば空想ともいえる夢の世界に、自分自身が入り込み、理想と現実が重なり合い、新たな発見に感動し、

大きな大きな一歩を踏み出した瞬間でした。

 

 

日本一のファン

 

 

よく、

「あんな大勢のファンの中、緊張はしないんですか?」

と聞かれるのですが

私は全く緊張はしませんでした。

むしろ、1軍の甲子園のロッカールームに座って、先輩たちと顔を合わせるときのほうが緊張していた気がします。

緊張しなかった理由はその時は分かっていませんでしたが、

おそらく、楽しさや嬉しさ、充実感でいっぱいだったからかもしれません。

待機しているブルペンでも、

『早く投げたい』

『またあの大観衆の大歓声の中でプレーしたい』

と思っていました。

 

実際に、熱狂的な阪神ファンの声援を受けると、

これまでにない力が発揮できるというか、何か体の深い部分から力が湧き出る感覚がありました。

あの大歓声、あたたかな応援、本当に日本一の声援だと思います。

当時、応援してくれた、阪神ファン、野球ファンの皆さんには心から感謝しています。

 

私はこの年、主に2軍で生活していましたが、1軍の試合には6試合登板させてもらい、

チームに貢献なんてことは少しもしていませんが、とても貴重な経験をさせていただきました。

そしてこの年、2軍のオールスターゲーム『フレッシュオールスター』に出場させてもらい、

シーズンオフの秋には、『アリゾナフォールリーグ』に派遣していただきました。

この時のことは、また次回詳しく書かせてもらいます。

 

 

 

 

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