プロ野球選手になってからの生活 阪神タイガース

2020年2月8日

夢のプロ野球選手

 

大学4年生の時に、ドラフト4位で阪神タイガースに指名していただいて、

小さいころからの夢だった、プロ野球選手としての生活がスタートすることになりました。

小学校から大学まで、家が近いということもあり、ずっと家から通ってきた生活から一変、

初めての寮生活でした。

そして初めて実家を離れ、生活をしていくところが、関西ということに、とても不安を覚えた記憶があります。

しかし、念願のプロ野球生活に、それを遥かに超えるワクワクした気持ちがありました。

福岡を離れる当日、家族が博多駅までお見送りをしてくれました。

その時に、大学の同級生が何人かサプライズでお見送りをしに来てくれました。

びっくりしましたが、とっても嬉しかったです。

大学時代、親が共働きをしていて、家では3つ離れた妹と2人で生活しているような感じでした。

そのせいで、私が家を出ていくのが寂しかったのか、プロ野球選手になったのが嬉しかったのか、

新幹線が出発するときに、妹が泣いていたことがとても印象的で、少しだけもらい泣きをしてしまいました。

そんなこんなで、私のプロ野球選手としての生活がスタートしていきます。

 

 

虎風荘に入寮

不安と期待で、足元がふわふわしながら、阪神タイガースの寮である『虎風荘』に入寮しました。

当時の寮長はとても厳しいことで有名な方で、びくびくしながら挨拶をして、説明を聞いていました。

『虎風荘』は4階建てで、私の部屋は、4階でした。

1階にはトレーニングルーム、お風呂、トレーナー室。

2階には、食堂。

そして自分の部屋の窓からは、鳴尾浜球場がすぐそこに見え、真横に室内練習場。

野球をしていくうえで、最高の環境でした。

門限など、寮での決まり事もありましたが、

ご飯もとてもおいしく、これからこの恵まれた環境で生活しながら野球ができると思うと、

ワクワクが抑えきれませんでした。

入寮して、部屋をかたずけていた時、同じく福岡県出身の先輩が、わざわざ挨拶をしに来てくれました。

厳しい勝負の世界で生きていくと、バリバリに力んでいた私は、その先輩のおかげで少し肩の力が抜けました。

とても優しくいろいろと教えてくれて、本当にありがたかったです。

大卒の選手はこの寮で2年間は生活をしなければいけませんでした。

結果的に私は、4年間を寮で過ごしたのですが、とても思い出深く、今思うと、とても幸せな生活でした。

厳しいと有名な寮長さんも、確かに怖かったですが、とても優しく愛のある方でした。

 

 

ついに始まる合同自主トレ

 

同期入団の選手は私を含めて、7人でした。

大卒5人、高卒1人、独立リーグから1人という感じでした。

その中でも、投手は私を含め3人でした。

3人とも右投げで、とにかくこの中で1番目立ってアピールしていくぞと思っていました。

私たち7人は名前と背番号の書かれたビブスをつけて、練習が始まりました。

ちなみに私の背番号は『43』番でした。

最初は主に基礎体力の強化メニューでした。

きついメニューや地味なメニューもありましたが、

それよりなにより、何をするにでも、カメラを向けられ、熱狂的なファンが見守る中練習をすることに、

違和感と、興奮が入り交じり、常にアドレナリンが出続けていました。

ちょっと走るにも、キャッチボールするにでも、いつも以上に体が動いてしまい、

高ぶる気持ち話抑えることに必死でした。

きつい練習もありましたが、新しいことの連続に、毎日が楽しくて仕方がありませんでした。

そんな自主トレをしていると、続々と、現役の選手たちが、グラウンドに体を動かしに来ていました。

初めて会う選手には、そこで初めて、挨拶をします。

新人選手でまとまって挨拶をしに行きます。

テレビでしか見たことのない選手を前に感動しながらも、緊張の挨拶です。

その時だけは、自分が選手であることを忘れていました。

そんな選手たちと同じグラウンドで練習をしていき、報道陣にも慣れ始めてきた頃、

ようやく徐々にプロ野球選手としての自覚が湧いてきていました。

とにかく毎日が新鮮で、充実感で溢れる日々でした。

そしてついに春季キャンプが始まります。

 

 

春季キャンプ離脱1号

 

合同自主トレも終盤に差し掛かり、春季キャンプの振り分けが発表されました。

阪神タイガースは、1軍が沖縄キャンプ、2軍は高知県の安芸キャンプでした。

私は2軍の高知県、安芸キャンプに振り分けられました。

まだ右も左もわからない初めての経験なので、振り分けられた時はただただ自分の名前がすごい選手と同じ紙に記載されていることに興奮をしていましたが、

一丁前に、悔しい気持ちもありました。

いつかは沖縄キャンプに行くんだ!と意気込んでいました。

そして、高知県に到着し、初めて阪神タイガースのユニフォームに袖を通し、グラウンドで野球をする時が来ました。

安芸キャンプに参加している2軍の選手、首脳陣がグラウンドに並び、キャンプ初日の歓迎セレモニーが行われました。

その中に並んでいた私は、スタンドに溢れんばかりのファンの人たち、大勢の報道、取材陣の数に、ただただ興奮していました。

しかし、2軍でこれだけの人が集まるんだから、1軍はもっとすごいんだろうな、と改めて、1軍に対する憧れが増していました。

セレモニーも終わり、さっそく練習がスタートしました。

練習メニューは分刻みで組まれており、そのことにも驚き、感動したことも覚えています。

初日の練習は、アドレナリン全開で、体が異常に軽く、絶好調でした。

私は自主トレの時と違い、気持ちを抑えることはしませんでした。

もう戦いは始まっているんだ!

初日からバリバリにアピールしていくんだ!

と意気込んだいたからです。

私を担当してくれた、当時の担当スカウトの方には、常々、

「憲、自分のペースでな。周りのペースに流されるなよ。自分を持ちなさい」

と、言われていました。

しかし私は、完全に自分のペースを超えてしまっていました。

キャンプ初日が終わり、体はバリバリに張っていました。

そして、キャンプ2日目。

ウォーミングアップ中のことでした。

私は太ももを肉離れしてしまいました。

キャンプ離脱第1号です。

とても恥ずかしく、とても悔しく、とても情けなかったです。

私のプロ生活は最悪のスタートを切ることとなりました。

 

 

怪我したことで変化した気持ち

キャンプ2日目に怪我をしてしまい、さっそく別メニューとなった私は、

グラウンドにも出られず、トレーナー室でリハビリをしていました。

そんなある日の夕方、

練習を終えたベテランの選手たちが治療やケアをしに、トレーナー室に来ていました。

そこでは、2日目で離脱した情けない新人の私がリハビリをしていました。

来る選手来る選手にいじられていました。

恥ずかしいのと、気まずいのと、悔しいのと、いろんな気持ちでした。

そんな中、私の担当のスカウトの方が私の様子を伺いにトレーナ室を覗きに来ていました。

私はただ謝ることしかできませんでした。

1日でも早く怪我を治してまた頑張ろうと話をしてくれていました。

するとそこに、1人の先輩が通りかかり、

「○○さんが連れてくる選手はろくな選手いませんねー」

と笑いながら通っていきました。

私は自分はどれだけいじられても許せましたが、担当のスカウトの方がそんなこと言われることは許せませんでした。

しかし、怪我をしてしまった事実は変えることもできなく、心の底から情けなくなり、

その日の夜、涙ながらに担当のスカウトの方に

「あんなことを言われてしまいすみませんでした」

と謝りの電話をしました。

そしてその時、ただただ憧れ、すごいなーと思っていたミーハー心から、

やってやる。この世界で勝ち抜いてやる。という敢闘精神、競争意識、闘争心がはっきりと生まれた瞬間でもありました。

プロの華やかさと、さっそくある意味、プロの厳しさを学んだスタートでした。

 

次回に続きます。

 

 

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