「承認欲求」

人間は誰しも、頑張りを認めてほしい。
褒められると嬉しい。
そして、
失敗をしたくない。
人に嫌われたくない。
そんな気持ちが、心のどこかに存在する。
よって、現在「生きにくい」という感覚がある人は、
案外その原因は、自分自身の中にあるということである。
その気持ちが大きくなればなるほど、生きる世界は狭くなっていく。
では、なぜ生きる世界が狭く感じていくのか。
それは、評価基準がすべて「他人」からの評価になっているからだ。
他人の評価に感情を支配される。
褒められるといい気分。
間違いを指摘されると暗い気分。
そんな日々を暮らしている人は、狭い世界に生きていると言える。
他人の評価ほど、適当で、曖昧なものはない。
例えば、周りの友人に好きな芸能人を聞いてみればいい。
それぞれが自分の好みを発表し、それぞれ違う芸能人の名前を言うはずである。
簡単に言えば、他人の評価はこれと同じ。
全員が全員、同じような好みではない。
あそこは好きだけど、あそこは嫌い。
好き勝手に言う。
これが他人の評価というもの。
その時の気分によってコロコロ変わることもある。
周りの評価が偏れば、票数の多いほうにすり寄り乗っかる人間だっている。
なぜなら、
いちいち反対意見を言いたくないから。
議論をすることが面倒くさいから。
だから、自分の考えを平気で変える。
他人の評価とは、それほど適当なものだということ。
その人にはさほど興味もないのに、それっぽいことを取り繕って、ああでもない、こうでもないと言う。
そんなくだらないことから風に乗り、
運悪くたちの悪い運び屋の耳に入れば瞬く間に世間に広まっていく。
そして最後には、本人の耳まで届く。
その頃には、最初の話からは比べ物にならないほど、数倍にも膨らんだ話になっている。
だから、
そのことを聞いて腹を立て、噂を流した本人に問い詰めたところで、
「そんなことは言っていない」で終わりである。
解決もしない不毛な時間と労力となる。
だから、他人の評価を気にしたり、他人からの評価を上げようとしたりすることは、
本当に無駄な努力であると言える。
では、何を大切にするのか。
それは、「自己評価」である。
自分で自分を評価すること。
自分はまだまだだと思うのか。
それとも、
ここまで頑張った自分を認めてあげるのか。
他人からどう評価されるかではなく、自分自身が自分をどう評価するのか。
そこに目を向けることが、何よりも大切なことである。
そんな自己評価の仕方にも大切なポイントがある。
それは必ず、
「自分が正しかった」
と評価してあげること。
どんな場面で、どんなことが起きても。
「自分が正しい」ではなく、「自分が正しかった」と思うこと。
「自分が正しい」と思う人は、自分勝手で、自己中心的な態度になってしまう。
そこには反省がない。
ポイントは、
「自分が正しかった」と思うこと。
「間違えてはいなかった」と思うことである。
要は、
終わったことに後悔をしない癖をつけること。
何が起きても、自分が正しかった。
自分の考えも、自分の行動も、自分の発言も。
その時の自分は、それが正しいと思って選択し、行動し、発言をしたはずである。
まずは、その自分を受け入れてあげること。
もしかすると周りから見れば、その時は間違いだったのかもしれない。
結果的に失敗だったのかもしれない。
それでも、まずはその事実を受け入れる。
そして「自分が正しかった」と思うことだ。
昨日の自分も、数年前の自分も、同じく過去の自分。
この世の中に、未来の正解が分かる人間なんていない。
間違えることだってある。
失敗することだってある。
だったら、どんな時でも自分の行動や発言は、
とりあえずは、すべて正しかったと思ってあげてもいいんではないだろうか。
うまくいくこともあれば、
うまくいかないことだってある。
うまくいったら、それは誰でも正解と言えるだろう。
うまくいかなくても、経験は積める。
その経験が、いずれ正解になることだってある。
すべては、トライすることに価値がある。
だったら、なんでもまずはチャレンジすればいい。
刻々と進んでいく時間の中を生きていくうえで何よりも大切なのは、
物事が起きたその後にどうするか。
であれば、
「こうなったらどうしよう」と不安になるんではなく、
「こうなってもいいや」と、常に思えるようにする。
人生は、
「起きたことにどう対応するか」
その繰り返しである。
失敗をすると後悔する。
必要以上に自分を責める。
挙句の果てには、
自分を疑い、自分が正しかったと思えなくなる。
「なんであんなことをしたんだ」
「どうしてあんなことを言ったんだ」
その時の、その場所に立ち返り、
その時の自分を責める。
わざわざ消し去ることのできない過去に戻る。
そして、
落ち込む。塞ぎ込む。生きにくくなる。
当然である。
過去は変えることができない。
反省することは素晴らしい。
しかし反省と後悔は全く違う。
自分は正しかった。
その中で反省をする。
「あの時の自分は、あの時の自分なりに考えていた。」
「では、次はどうするのか。」
これを考える。
後ろ向きな反省と、前向きな反省では、反省の内容が全く変わってくる。
過去の自分を責め続けるのではなく、
未来の自分のために反省する。
それでいい。
足を止めず、とにかく前に進む。
進み方は不格好でもいい。
不格好な姿を笑われてもいい。
失敗してもいい。
間違えてもいい。
少なくともこちらを指さし足を止めて笑っている人間よりも確実に前には進んでいる。
過去に戻るなんてもってのほか。
あの時、ああすればよかった。こうしておけばよかった。
そんなことをいくら考えても、過去は変わらない。
変えられるのは、「これから」だけ。
起きることには、必ず意味がある。
できることなら、意味のある生活を送りたい。
有意義な時間を過ごしたい。
そんな有意義な時間に、後悔は必要ない。
これまでにあったこと。
これから起こること。
うまくいったことも、
うまくいかなかったことも、
失敗したことも、
恥ずかしかったことも、
全部含めて、
「自分は正しかった」
そう思うことで、
心は軽くなる。
常に前を向くことができる。
他人の評価に、自分の人生を支配される筋合いなんてない。
誰かに認めてもらうために生きる必要もない。
自分自身が、自分の一番の理解者になればいい。
「自分は正しかった。」
この言葉は、自分を甘やかすための言葉ではない。
過去の自分を受け入れ、
そのうえで、これからの自分を前に進めるための言葉である。
反省はしても、後悔はしない。
他人の評価ではなく、自分の評価を大切にする。
そして、
足を止めず、とにかく前に進む。
前進あるのみである。

