「人との共存」

私たちは生きていく上で、人との共存は絶対に避けられない。
そんな中で、他人との関わりにストレスを感じていれば、当然生きづらくなる。
できることなら周りの人間とうまく付き合い、楽しい日々を過ごしたいところだ。
私自身も、これまでいろんな経験をしてきた。
いろんな経験をして、現在の私は落ち着いたメンタルを保てている。
では、どのようにして安定したメンタル状態を保つことができているのか。
今回は、私なりの持論を話したいと思う。
共感する点があったり、これを読んでくれた人の気持ちが少しでも楽になってくれればいい。
そして、今後の人生にほんの少しでも役に立てれば嬉しく思う。
これは特に、
心の優しい人間にありがちなことである。
そんな心の優しい人間の最大の特徴は、
「関わる全ての人を幸せにしたい」
という気持ちを持っていることだ。
ただ、それを願うだけでは事足りない。
そうなるためには、こうした方がいい。
更には、こうしてほしい。
と、まるで他人を自分の体の一部かの如く、コントロールしようとしてしまう。
これは優しさを超えた、格別なお節介である。
そのコントロールが上手くいかないとき、ストレスを感じてしまう。
他人に対して、
「なぜこれができない?」
「なぜわからない?」
「こんなこと当たり前だろ。」
「なぜそんなことをする?」
「みっともない。」
「見ていて恥ずかしい。」
こんなことを思ってしまえば、その相手とは自然に距離を作ろうとしてしまう。
そもそも、そこまで他人のことに干渉する必要はない。
それでも、自分の周りの人間には、
「そうであってほしい」と理想を押し付けたり、
「こうしたらもっとよくなるのに」と、余計なお節介をしてしまう。
そうやって他人との距離を作り、無意識にぞんざいな対応をしてしまうと、
そんな対応をされた相手も、こちらに同じように冷ややかな対応をしてくることになる。
優しいが故のお節介で無駄に敵を作ることになってしまう。
そんな気持ちや、そんな相手がいる人間に、対処の方法を紹介したい。
それは、
相手をリスペクトすることだ。
そんなこと言ったって。
今現在、距離を置き、ぞんざいな対応をしている相手を、急にリスペクトすることは正直難しい。
そんな相手を今更リスペクトするどころか、認めるなんてまずあり得ない。
できれば絡みたくもない。
その通り。不可能である。
ここで言うリスペクトは、普通のリスペクトとは違う。
自分が折れる必要はない。
その方法は「変則リスペクト」。
それは、
「その人にも、その人の人生がある」
と思うこと。
その人とどんな間柄であっても、
その距離が近くても遠くても、
大好きでも、大嫌いでも。
一心同体なんてことは、まずあり得ない。
その人には、その人の人生がある。
その人には、その人にしか見えない世界が広がっていて、
絶対に自分が見ている世界とは違う。
自分が見えている景色では綺麗だと思っていても、
その人の目からしたら、汚い景色かもしれない。
自分の人生の中の常識では、恥ずかしいと思っていることも、
その人の人生の中では、恥ずかしくないことなのかもしれない。
絶対に、自分と同じだと思わないこと。
「なぜこんな簡単なことができない?」
そんな気持ちをその人に抱いたとしても、
その行動は、その人にとっての「全力」なんだと思ってみる。
だから、それ以上を求めても、その人には無理なことなのかもしれない。
なぜならば、その行動は、その人の全力だから。
「できて当たり前」と思えば思うほど、理解ができなくなる。
「できるはずなのに」と期待をすればするほど、それができなかった時に悔しくなる。
もし期待を裏切られる形になったとしても、それ以上は求めない。
その人の全力が、そこまでのレベルなんだと思えば、
「仕方ない」と思えるようになる。
みんな、それぞれの人生を全力で生きている。
お互いが求め合わず、それぞれが自分の人生を全力で生きている。
実際にそんな態度をとるわけではない。
ただ、そんなイメージをする。
その人は、その人の人生を生きている。
そして、自分は自分の人生を生きている。
だから、その人がどんな結果になろうと、
どんなことが起きようと、
それはその人の人生だ。
他人の人生まで管理する必要はない。
他人の人生に踏み入ってはいけない。
これが、私なりのリスペクトだ。
その人の人生なんだ。
そして、
その人の全力なんだ。
そう思うことで、人との共存は少し楽になるはずである。
サプライズが好きで、人を喜ばせたい。
その努力を表に出さず、人に感謝されるのが好きな人間。
それなのに、外ではたくさん気を遣い、人当たりのいい人間。
周りから見たら、「とてもいい人」。
しかし、その周りからの「いい人」という印象が、
「いい人でいなきゃいけない」
というプレッシャーに変わり、自分だけがストレスを抱えてしまう。
それでも周りからの印象は、どこまでも「いい人」。
だから、そのストレスの発散の仕方さえも気を遣う。
愚痴は言わない。
文句も言わない。
だって私は、
「いい人」だから。
他人は変わらない。
だから、自分が変わるしかない。
変わるというのは言葉だけで、ただ装う。
だって本当は自分が変わる必要がないから。
むかつくけど、怒ると体力を使う。
めんどくさい。
それなら、関わらない方がいい。
こっちが気にしなければいいだけ。
そんなことを思っていても、顔を見れば腹が立つ。
感情を押し殺し、「いい人」として対応する。
無駄な体力を使い、自分だけが疲れる。
生きにくい。
しんどい。
めんどくさい。
そんな気持ちから今すぐに自分を解放する。
自分の周りにいる、理解のできない言動をする人間。
その人は、その人の人生を生きている。
そして、その人の行動や発言は、「その人の全力」なのである。
その人にとっての全力が、そのレベルなんだと思えばかわいいもの。
「自分だったら」と思うから、理解ができない。
当たり前である。
自分の管理外の案件。それが他人というものだ。
そんなことより、
自分自身の人生を全力で生きるためには、どうするべきか。
自分自身が全力で向き合えるものは何か。
自分自身が全力で楽しめるものは何か。
そんなことに頭を使うのである。
嫌なことに使っていた頭を、自分の人生のために使う。
そうすれば、嫌なことに使う時間は少しずつ減っていく。
すべての人と仲良くする必要はない。
すべての人間を理解する必要もない。
その人には、その人の人生がある。
自分には、自分の人生がある。
だから、他人を変えようとするのではなく、
自分自身の人生を全力で生きればいい。
自分自身が全力で向き合えるものは何か。
自分自身が全力で楽しめるものは何か。
そんなことに頭を使えばいい。
嫌なことに使っていた頭を、
自分の人生のために使えばいい。
「でも、そんなことをしたら一人ぼっちになるのでは?」
心配はいらない。人との共存は避けられない。

